ちょきちょき

この間買った和紙はなかなかいい感じ。嬉しい。

 少し切って使ってみて、使えそうな気がするので、もう少し切って使ってみることにしました。

テレビで平清盛の話で「現代人は平家物語の影響を受けていて、平家を見ている」と言っていて確かにそうだな。と思う。

平家物語」「源氏物語」あとは「伊勢物語」あたりは必須なので「伊勢物語」あたりは仕方なく読んでいるのですが(読んでいると「むかっ」とすることが多いのが伊勢物語。筆者が女性に対して偉そうだから。物語部分と和歌のあとの一言でむかっとすることが多い。)。でも和歌が頻出和歌を含んでいるので仕方なく読む。和歌に合わせたお話集。面白くないことはないのだけれど「多いよ!」と毎回思います。いくら読んでもすぐ忘れてしまいます。

「多いよ!」は平家物語にも源氏物語にも思います。源氏はもう古文で読んでいると進まないので、途中でスピードアップを図るため、与謝野晶子訳のでなんとか完走。これも途中で「むかっ」と出てくる男君に対して思う話ではありますが、読んでいるととにかく、呼び名が全部その時その時の官職だったりお役目だったり関係を表す名前だったりするので「えーっと、現在の御息所って誰の妹、誰の子供で母親は誰だっけ?」など思うこと多数。兄弟でも母親が違えば系統が違うので、毎回自分でこの人の子供で母親は違ってと図をかきながら読まないと、同じ呼び方でも違う人だったりするので困ります。そしてネクストジェネレーションまで進んでしまうので「大君」って誰!と「どこの姉妹の姉の方よ!」とうっかり思ったりしてしまいます。長いよ。

そして読んでも忘れてしまうので、また読まなければいけないのでした。涙。

長いよ!そして忘れちゃうよ、は平家物語もそう。長いよ!そして何より「名前が似てるよ!!!」。この名前が似てるよ問題、もう、武家からしょうがないんですが、もうもうもう!私にとってはなかなか困難なポイントなのです。というのも。現代の普段の生活でも私は、「文字が前後していてもわからない」からです。並び方が違ってもわからないのです。そして「逆になってしまう」ことが多いのです。

かってにひっくり返ってしまう事があり、また前後に入れ替わっているものを並べて見比べても「わからない」のです。例えば「村松」と「松村」は見分けがつかないのです。今書けているのは(というか書けていると信じたいが)、音で自分の手で入力するか文字を書くかするからなのです。これ、あとから見たらわからない。わかるためには一時ずつ分解して、音を確認しないとわからないのです。

こんなふうな癖のようなものがあるので、音と文字が前後しまくる通り字は困るのです。これ、将軍もですよ。江戸時代の。ほんとやめてよ。

英語でも自分の手では書けても、見ては「なんとなくちがう・・・かも・・・」ぐらいで文字が前後ひっくり返っていてもわからないものがあります。

数字なんかはもうだめで、似ているのでわからない事が多いですね。見比べるのは地獄・・・。絶対できないわけではないのですが。

どうやって本を読むかと言うと・・・説明できないのですが、単語の方を先に覚えて当てはめて読んでいて、ちゃんとは読んでいないかもしれないなと思います。

文字を絵として認識している部分があるのかも・・・と思ったりします。

ものを覚えるのは「音」に頼っているところが多く、学生時代は「音」から覚えるようにしていました。なので音源がないものは覚えられない・・・。文字や紙に書いたものを覚えられる人は羨ましいです。

音と画像をあわせて覚えていることが多く、画像化できないような情報は覚えにくいですね。あ、だから絵巻が好きなのか・・・。

そんなこんななので「平家よ!」と平家物語絵巻などを読んだりすると思います。「えーっとどなたでしたっけ?この最後の方は。」展覧会などで平家物語系の絵なんかを見ると「何殿かはなんとなーくだけれど、お話は覚えておりますぞ。」と思いながら見ていることが多いです。エピソードは強いものを持ってる方が多いですからね。

とにかく、どれも全部「よく出てくる」ものなので、しょうがないので何度も読んでます。読んでますが、おぼえられません。涙。

 

曲を覚えるときも音で覚えています。そして頭の中では音で画像化されているような気がします。地図みたいな感じもあり。絵巻風。なので、文字で覚えては居ないので、違う音を出されたり、音の位置といったものが違うと大変です。とほほ。