大丈夫

休みの日ごとにものを捨てている。なのに全然減らないのはあまり大胆に捨てていないからだろうと思う。大胆にどんどん捨てていたのは初めの頃で、諦めが付きやすいもの、もう絶対二度と必要にならないであろうものばかりだったからだろう。

ある程度捨てると、今度は今後似たようなものが必要になった時手に入れられるだろうかなどと逡巡するようなものが多くなる。そして細かいものが多くなり、整理に手間取る様になるのだ。

それでも、色々とゴミは出る。ゴミをまとめると結構な量になるのに、一向にものが減らないのは、日々、色々と買い込んでいるからもあるし、もとの量が多いからと言うのもあるのだろう。たまに見聞きする整理術のような話で思い切って全部捨てたという人がいるけれど、そういったいっぺんに全部捨てられるのは経済的に余裕がある人だろうなと思う。

ある程度のものを一気に揃えられる経済力、必要ならば再び揃えられる自信がなければなかなか一気にすべてすっきりというわけには行かないのではないか。あるいは経済力がない場合は、勇気か。

とにかく、そういったことは脇において、「大丈夫捨てられる」を心のなかに念じながら捨てている。

大丈夫、大丈夫、きっと捨てられる。と思いつつ、いろいろなものを捨てている。先日大量に捨てたのはお茶道具。といっても、特にいいものではなく、本当に稽古道具。茶筅はたくさん出てきた。こういうの、もらうものなのだ。消耗品だから。私はついにお茶は身につかなかったな、などと思いながらどんどんゴミ袋に捨てていく。稽古用の茶碗なども「いったいどう捨てればいいのか」と思いながら、燃えないゴミのその他のゴミなのかななんて思いながらゴミ袋へ入れる。ごめんね。と思いながら。どうしたこともない雑器、大量生産のものでも、使える道具なのでごめんねと思う。食器類というもの。まだ使っていないものなどは誰かもらってくれないかなどと思うけれど、中古屋さんへ持ち込むのも手間で、時間も体力もないので、どんどんゴミに出してしまうことにする。非常に物に対して悪いような気がする。

でも、「大丈夫、大丈夫、きっと捨てられる」と心のなかで唱えて作業をする。

使わないゲーム機、もう動かないものなど、捨てる。

家電製品も捨てるのが手間なものだ。交換したハードディスクなどもどうしていいかわからず十年二十年と持っていたりする。破壊するのも大変なのだ。消去も正常に動かないだろうし、などと躊躇していると、すぐ二十年ぐらい経ってしまうのだ。これも破砕しなければ。

そうだ、Win7端末も初期化をしておかなければ、処分するにも処分できないな。などとやることはまだあって、単に捨てるといってもいろいろだ。

でもとにかく一つづつ捨てなければ。

ということで、休みごとに「大丈夫大丈夫」と言いつつ作業をしている。

私はこの頃、自分に「大丈夫大丈夫」と唱えることが多くなった。以前よりショックを受けやすくなったのもあるが、もともと気が小さく、動揺しがちなのだ。でも誰も大丈夫などとは言ってくれないので、自分で言うことにしているのだ。大丈夫大丈夫。きっと別に殺されるわけでもなし。大丈夫。と。

仕事でも、外に出ても「どうしよう」と思うことが多い。困ったことになることが多い。そういう時、全然信じていなくても「大丈夫、大丈夫。まだ今日も生きてる。」と唱えている。失敗しているけれど大丈夫、なにか大事になっているけれど、大丈夫(??)。まだ生きてるし。と。

全然だいじょうぶではないのだけれど。