バイオハザード

書くのを躊躇する話題だ。

ということでずーっと二週間ぐらい迷っていたけれど「恋せぬ二人」を見ている。第二回まで視聴した。

あの枠のドラマは前の阿佐ヶ谷姉妹でも「家族」というか「一緒に生きていく仲間」の話だったと思う。そしてその前は年齢が低かった(高校生ぐらいだろうか)ため、家族になるという話ではなかったけれど、友を得るという話だったと思う(「古見さんはコミュ症です」)。

今回の「恋せぬ・・・」二回目をやっとこ見たところ、最後の最後で同僚が「俺の女」「付き合ってる」宣言で恐怖を感じて終了した。急に怖いこと言い出した!と怖い気分で終わったので、その後も嫌な怖い感じが残った。
この「恋せぬ・・・」ドラマ。私にとってはバイオハザードみたいなジャンルのドラマなのかもしれないな、と思い始めている。油断してると、うわっと人間が襲いかかってくる。の繰り返し。のようなもの。「バイオ」のドアを開けると、「うわっ」とアレが飛んでくる感じに似ているような気がする。油断していると、いやーな気分になる出来事があったり。見るのが辛いシーンがあるので、見ていてなかなかリモコンから手が離せない。バイオハザードやジュラシックもリモコンから手が離せず、いよいよとなったらチャンネルを変えるか、録画なら早送りで対応しつつ見ている。この「恋せぬ・・・」もいよいよとなったら早送りをしながら見ていた。だから、肝心のところを抜かしている場合もあるようだ。(この間、ちらっと見た誰かの感想も「へーそんなシーンあったんだ」となったので、抜かしてしまっているに違いない。)
しかし、今回は不意打ち&すぐ終了で、戦慄したまま放送終了。あーびっくりした。そして怖かった。このドラマについての紹介なんかを見ると、コメディと書いてあるものもあって、意外だ。そうなのか、と思っている。個人的には早送りポイントが所々あるというバイオハザードとの類似点の方が気になる。
とにかく。油断してると、妹が襲いかかってきたり、母親が襲いかかってきたり、上司、仕事の後輩と次々にゾンビ、じゃなくて、とりあえずなにか襲ってくるので、ホラージャンル寄りの気分になれる家族ドラマ。
次回ははじめからあれなら、きついなぁ。見られるかなあ。早送りしすぎて内容わからないかも。
女性主人公が無防備、無邪気すぎるから招いてるあれこれとも言えなくもないような気もするけれど(あのアンケートを職場で開いてみてる時点で)、それにしてもバイオハザードすぎる。

さて、このドラマ、アセクシャルのはなし。あの枠なら割合まっすぐ素直に描くのかなと思いつつも、見る前は「恋する」「恋せぬ」自体テーマかあと思うと、興味を持てないかもしれないなあと思って、見ても興味が持てないかもしれないなと思っていた。考えてみれば、「コミュ症です」の場合は恋も描かれてはいたけれど、友情のほうがメインだったので楽しく見られたのだ。つまり愛情の話ならば共感もあるし、興味をもって見られるのかもしれないなあと思う。私がドラマって暇すぎて見られないと思っていたのはその感じなのかなあ。と最近思う。恋愛ものドラマは全部ダメってわけではないのだけれど。人間の話になっていないとだめってことなのかなあ。

ということで内容ではなく、ピンポイントの話を。

主人公の二人(女性の方が主人公だとは思うけれど)が出会うときのシーン。不要に手を触れたとき、高橋さん(男性の方)が「うわっ」となって手を離す場面が描かれた。あそこで「あ、ああいう人他にもやっぱりいるのか」と改めて思った。子供の頃そういう情報がなくてかなり悩んだのでそう思ったのだ。今みたいに情報ないからなあ。

また、そういう人が周りにとって「困った人」ではなく「本人は困っているが」という描き方で少しだけほっとした。ちゃんと普通に生活ができていていい人だ。よかった。

大抵の場合こういうのって、周りから見て「変な人」「困った人」という描き方のほうがメインになるから。もちろん、今回のドラマも周りから見て「どーして?」というところもあるのだけれど、話の方向は本人たちから見た世界だ。そこは少し救いかなあ。それに触っちゃった方の女性も、そこは「どーして」じゃなくて「あ、そうなんだ。気をつけます。」で終わっていたので、友だちになれそうな人として描かれているのかもしれない。

あの触れないという事。あのドラマの人と同じではないけれど、「触るのもだめだし触られるのもだめ、非常に苦痛」というのを私は子供の頃からおそらく割合最近になるまで持っていた。

今も、平気ではないけれど、ごく親しい人で短時間ならば、大丈夫だ。違和感はあるし、少し時間が長いとだめだけれど、でも、子供の頃のような苦しみは無いような気がする。(戻ってくるかもしれないし場面によってもどうかと思うので自信がない)

あのドラマを見るまで考えたことがあまりなかったけれど、私の場合、物心つく頃から触られるのも触るのもだめだった。

私の場合は動物もだめで、動物はとても好きで、かわいいと思って触りたくて仕方がなかったのに、触るのが苦痛でとてもつらかった。

人に触られると、「皮膚の下がぞっとして、その苦痛が全体に広がっていくのをじっと耐え、全体にいきわたって、最初の衝撃を耐え、そのまま薄くまんべんなく広がる苦痛を耐える」という状態だった。触っても同じ。「ぞっとする」というのが一番近い。

だから幼い頃、不意に頭を触られたり(なでようとしたり)、抱きしめられたりするとつい逃げたり、不意だとぱっと避けてしまったりすることがあった。そうすると親などに「嫌な態度だ」とか「感じが悪い」と大変叱られて、それも辛かった。逃げたり避けたりしたいわけではなくて、うわっとなって嫌だ!と辛く思っているだけなのだけれど。別に親に可愛がられたくないわけでななく、動物が好きなのにさわると辛いのと同じで、抱きしめられると辛くて仕方がないといった感じだった。甘えたくても甘えられない。

まあ、我が家の場合、親もそれほどスキンシップの上手な方ではなかったのが逆に幸いして、それほどなでなでされることもなく、それほど問題が表沙汰にならなかったという事情で、そのままずっと育った。

大好きな動物をなでたりするのが体が辛いのは気持ちが辛いけれど、とにかくそんなふうなままなのは人には知られずに育つことができたと思う。

子供の頃は自分しか知らないし、他の人がどういう感じかなんていう発想は無いから、ただ辛いなあと思っていた。大きくなると、どうも他の人は平気らしいなとは思ったけれど、すでに、誰とも交流しない生活を始めていたので、そういったことを考える瞬間はそれほどなかったような気がする。

そのためか、おとなになって年をとった今まで誰にもこの事は言ったことがないし、知られてはいないと思う。積極的に人に触ったり、そういうことをしない人だとは思われているとは思うけれど。単に人付き合いがない人、無愛想な人、変わり者だと思われているだろうから、そこらへんの細かいことまで到達する前に、なんか愛想ないよねぐらいの感じで終わっていると思う。

ドラマを見るまで考えても見なかったけれど、この人に触れない、触られると苦痛というのは、多分私はこの先も人に言う気がない。と思う。言いたいと思ったことがなかったからだ。つまり誰にも秘密のままにしておくつもりだったんだな、と気がついた。

それに、今は年をとったせいか、ある程度は大丈夫になった。そうでない人、一生変わらない人もいるとおもう。私の場合は今はある程度ならぞっとならない。あの体の中から辛い感じ、痛みを感じたり辛くて落ち着かなくて、逃げ出したくなるような、閉じ込められた人みたいな発狂するのでは?と思うような感じは、薄まったと思う。今も長時間、例えばふざけてわーいなんてハグされると違和感はあるけれど、一瞬なら大丈夫だ。ちょっと時間がたつと、そういうときは、ふざけた感じで「助けてーーー」なんて言いながら逃げることで対応できる程度だ。

子供の頃は大好きなかわいいぬいぐるみも触ると「ざわっ」として辛くて仕方がなかったのを考えると年はとってみるもんだな。と思う。(個人の体験なので他の人は違うと思う)

今は割合平気とはいえ、その感覚があるので、今も、生き物や人間には、もし触ることがあっても、意識して触る。大丈夫だよね、と思いながら。

この「触れない、触られるのもだめ」はかなり人に誤解を与えるので、誰かに言うという発想はなかった。子供の頃は不意に触られることが多いので、そのたびに「うわっ」という反応をどうしてもしてしまったり、よけたり、逃げたり、とっさにふりはらってしまったりしてしまうので「可愛くない」「嫌な態度を取る」と子供の頃は叱られたりすることが多かったの、仕方なくじっと苦痛に耐えるということがも多かった。最初の衝撃から、ぐっと痛みに耐えるというのを意思の力でなんとか行うという感じ。おとなになると不意に触られることは減るので、そういシーンは減ったのでそれもよかったと思う。(自力で減らす生活をある程度選べる)

「触れれるとゾッとする」「痛い」など誰にも言えないなと思う。もう「あなたが嫌い」としか聞こえない話だ。

この話は親も知らないだろう。きょうだいも。これから先自分でも言わないと思う。

とにかく、似たような体質?の人が「ドラマで描かれるとは。そしてそれがいい役者さんの役で。しかもいい人の役で。」と感慨深い。

あのドラマの中の高橋さんはいい人である。親切だなあと思うし、人との関わりを避けてはいない人だなと思う。第一回で女性主人公が「同じ人がいた!」と猪突猛進で「(同じだから)家族になりましょう。」と唐突に提案したとき「なめてますか」とちゃんと答えてあげるところなんて「なんていい人なんだ」と感動したぐらい。

大体、急に「参考になるから話したい!」と話しかけてきた人の「話を聞いてあげる」というところなんかもいい人だなと思う。まあ、主人公がぐいぐい猪突猛進じゃないと誰とも出会わないし、高橋さんがいい人じゃないと二人は暮らし始めないので、そのあたりはファンタジーなのだろう。ドラマがいつまでも「出会わない系」では始まらない。

でも見ていてつらいな。とは思う。

ああやって、仲間がほしいんだよ。家族がほしいんだよというのがやっとドラマになったなという感動はある。そしてドラマなのでちゃんと仲間は最初からいる。そこはちゃんとファンタジーしていてやさしいし、安心なのかもしれない。しかし、マジョリティからの視線がずーっと描かれるので、見ていて「寂しさ」をものすごく感じる。再確認というか。そういえば、このドラマ、ドラマを見た人々の感想を読むと寂しくなるので、それも読まないようにしている。

普段あまり意識していないのに、そっちがわとこっちがわが感想が別れてしまう。そしてそっち側じゃないんだなあ私。と思うと寂しい。今まであまり寂しいと思っていなかったけれど。