迎える夏

現在ゴールデンウィーク真っただ中。

天気が回復し、東京は晴れだという。晴になり北からの空気がなくなると途端に気温が上がり始める。

これから夏を迎えようとしてるけれど、年々外に出る時間が短くなり、また、季節も以前のようにゆっくりと移り変わらないため、季節を実感する機会が少なくなった。特に季節が移り変わっていく味わいが薄れた。

季節は移り変わっていくところがいい。特に境目のところ。また巡ってきたという新鮮な気分。匂い。

どの季節が好きかという質問はよくある質問だけれど、私はどの季節も移り変わっていく切り替わっていく時が一番好きだ。

すでに藤の花は咲いている。

これから力強すぎる夏がやってくるのだと思う。

四月の燕子花

四月最後の金曜日。用事のついでに根津美術館の「燕子花図屏風の茶会」展へ行く。

毎年燕子花図屏風を展示しているけれど、今年は昭和十二年の五月の取り合わせを部分的に再現する展示。待合、本席、中立、濃茶、薄茶席、薄酌席、番茶席、本席のうちには懐石、墨点前と一通り展示物で本格茶事に参加したような体験ができるようになっている。

かなり大掛かりな茶事(茶会ぐらいしか覗いたことがないので、茶事となると、もうほーすごいとしか言えない)で、燕子花図屏風を中心に、さまざまな美術品と茶室、広間、大書院、小書院と部屋もふんだんに使った茶事。

さすが。

メインの燕子花図屏風の展示の右には藤花図屏風、左には吉野図屏風という花に囲まれた展示だ。屏風は近づくと大画面いっぱいに風景が広がっていて、その風景に入っていけるのがいいし、右から左へ見ていって、左隻から振り返ってみるのも好きだ。今回は藤、燕子花、山桜を一度に目の前にいっぱいに見ることができた。

燕子花屏風も不思議な屏風だけれど、見るたびに枝に視線を伝わせていくと藤の咲いているところへ行けるところもいいけれど、とにかくぱっと見て藤の大きな木だ。と思うのだけれど、よくよく見ると枝は筆の幅を使ってすーっと書いた線なのだ。でもその線から透ける後ろの金の透け具合、筆の運びで大きな藤の枝があちこちと伸びているように見えるのだ。でも、やっぱり墨の線。そんなことを繰り返していると、藤の世界に入っていけるのだ。金の中に浮かんだ藤だけれど、その金の中に入っていける。燕子花よりこっちのほうが幻想的だなあとも思う。

屏風、そして細かい細工できれいな武道の絵が描かれている提重と面白い仕掛けの盃が薄酌席のごちそう。

二階の展示は画賛。画賛・・・。難しいな鑑賞が。僧侶なんかは絵に添えて詩を書いているのだけれど、あれ、みんなで書いているの、その場ですぐ書くのだろうか。と思いながら見る。なんとなく漢字を見て、この風景からそれぞれ風景を詠んだり、そこからすこし発展させたりとか、そんな感じなのだろうと思う。もちろん仏の心みたいなところとも関連しているのだろうけれど。とにかく、それをコンパクトにまとめられるのがすごい。それにこういう画賛みたいなのって、その生きている人の手で書いた文字というのも重要なのだろうと思う。録画とか録音がない時代、もっともっと、その人を感じるものなのだろうなと思う。今も、文字を見ると、その線などを追っていると、その人が手を動かしている、その気配を感じるというか想像するところがあるなあと思う。

そういうその人を感じるというのがきっと大切な部分なのだろう。と思う。

いつもの最後の展示室は初風炉立夏の茶事。爽やかな取り合わせ、今回は茶杓に心をひかれた。

ゴールデンウィーク

ゴールデンウィーク2日目。だと思う。

ひとによっては前後にお休みを伸ばしたり、仕事だったりすると思う。

昨日の雨で冷えた気温は晴れて出てきた太陽の光に温められて上昇中。

そういえば水をやらなければと思いベランダの植木鉢にみずをやる。

パピパピパピーとのびやかに鳥が囀る。

暖かくなってから声は聞こえるけれども四十雀はもうナッツを食べに来ることはない。今は違う気分らしい。

ヒヨドリは相変わらず甘いものを求めてやってくる。

たくさんの燕を見る。鳥の中で燕がとても好きだ。

すいーっと飛んでいく姿が美しい。

雀にもいじめられるぐらい弱いらしく、人間がたくさんいるところのほうがライバルが少ないだろうと人通りの多いところに巣を作るという変わった戦略をとる鳥でもある。

だから巣を作る家が栄えるのではなく、栄えている家のところに巣を作っているのだろうけれど、そういう風に言って汚れて虫がわく巣を作られても我慢する理由にしているのだろう。

そういえば、野鳥が巣を作った場合、ケースや自治体によって違うらしいが、むやみに壊すと鳥獣保護法違反になる場合があると聞いた。鳥がいなくて、つまり成鳥も卵も幼鳥もいない場合はOkだろうけれど、そうでない場合(成鳥だけならだとか、成鳥すらいないだとかいろいろケースによってわかれるし、地域によって対応が違う)はむやみに壊すことは禁じられているのだ。

なので、あの、適当で有名な鳩の巣も作られてしまうと厄介なことになる。

鳩の巣といえば

 

どうぶつの森でなぜか鳩は喫茶店マスター(コーヒーのみという頑固な店つくり。しかもコーヒーの種類もそれほど多くない。こだわりすぎの店。)で、お店の名前は「鳩の巣」。名前とは違い、どちらかというと昭和の喫茶店みたいなちゃんとした店を作る鳩だ。巣はどこにあるのか不明。通いなのか?

任天堂スイッチ版のあつまれどうぶつの森版でも鳩マスターは登場していて、私もたまに行くのだけれど、苦手なタイプの鳩だ。コーヒーしか売ってくれない(現実世界で和私はコーヒーが飲めない)のもなんとなく足が遠のく理由でたまにしかいかない。とはいえ記念品をくれたり、丁寧にコーヒーを入れてくれたりするので、悪い鳩ではない。ようにも見えるが、なんとなく苦手なのだ。

まあ、私は人を見る目がない(いい人!とか思って後でそうでもないとわかることが多い)ので、鳩店長もいい鳥なのかもしれないが。

 

アップロード

夜。細雪青空文庫になっているのを見つけて、上巻のみ読む。ずーっとどうでもよい話をすいすい読ませてしまうのはやっぱり上手なんだなあと思う。

アマゾンビデオのドラマ、「アップロード」のシーズン2が出ていたので見る。シーズン1が面白かったので、楽しみにしていた。死後、というか死の直前に自分のすべてをシステムへアップロードしてそこで永遠に(会費を支払えれば)生きる・・・という話。シーズン2ではついに「アップロード」だけでなく「ダウンロード」ができるところまで来る。とはいえ、ダウンロード先の肉体はまだ完全にできているわけではなく、実験段階。鳩の体にダウンロード実験をしている(先行して人間でやってしまって、「間違いだった」との発表がある)状態。鳩実験では700羽のうち400羽が「24時間たっても生きている」状態。ちなみに生きていない状態になる時は頭が吹っ飛ぶという・・・。アップロード時に頭をアレするというすごいシステムだからか?と思うが。そういえば番組のレイトは+16.「露骨な性表現」「暴力」「肌の露出」という注意がある。性表現については、どちらかといえば大部分が「笑い」ではあるけれど。

人間の空の体(そんなものを作れるのか?脳もあるのに)を作り、そこへアップロードしていた「人」をダウンロードしてもう一回仕切り直し。という技術を開発中なのだ。

相変わらずの話だが、なんとなく見せてしまうところは脚本がうまいのだろう。こちらもともすればどうでもいい話になりそうなのをうまく「もし」を絡めて進めている。

技術が進むことで技術のというか技術を使うことの人間のグロテスクさと、とはいえ夢の技術である「夢」部分も織り交ぜて、コメディタッチで進んでいく話。この先どいういう帰結になるのか。ロマンス部分が増えていくと興味を失うかもしれないけれど。シーズン3はまだまだだそうだ。楽しみ。SFの楽しみは条件の楽しみなので、そのところから離れず展開していくといいなと思う。