2月の10日に雪が降りました。
東京は雪。朝からちらちらと小さい細かい雪が降ってきて、仕事をしていたからあまり見ていなかったけれど、午後には雨になったようでした。大雪警報が出ていたけれど、都心は大雪に見舞われることなく、助かりました。気温が1度でも違うと大変なことになるので、なんとか気温を保ってほしいと思っていました。
次の日は晴れ。気温も上がってよかったよかった。
最近、母と「雨ちょっとだけ降らないかなー寒いから。」と時たま話していました。寒いから、庭の水やりをしたくなくって。それに、人がざーっと水をやるより、断然小雨でも雨のほうが、きちんと水やりができて、木々も喜ぶし。細かく、長い時間水が降ってくるので、地面に水がいきわたるのだろうと思います。雨の次の日、庭木や草はみんななんだかいつもより元気そう。
前日の雪と雨で、寒いけれど、木も草も少しは楽になったかなあと思います。そうだといいな。去年からずっと東京はひどい乾燥が続いています。
雪というと、二月に降るイメージ。たまに三月に降ることも。今年はもう降らないでほしいな。
バレンタイン前に、バレンタインに買ったチョコレートを家族に渡す。ちょうどおやつの時間だったので。バレンタインはとっくに自分や親しい人とその時限定のチョコレートを楽しむぐらいの期間だと思っていたのだけれど、ネットで「義理チョコがありがたくない人のパーセンテージ」というのを出していて、まだ義理チョコ文化はあるのか。と驚きました。まだあるんですね。
好きな人もいるのかな。義理チョコ文化。
お返しだとかそういうこと抜きに「ちょっとおいしいものがあったから」とあげあうぐらいの感じならいいのだけれど、職場などだと面倒なところもあるのかな。
職場でも仲良しやおすそ分け感覚でお菓子をあげるぐらいだったらいいのだろうけれど。
本命チョコというのも、もしかして、あるのかしら。
今一つよくわからない存在だけれども。もしかして最初から存在していない可能性もあるかもしれない。概念はあるが実在していないとか。
バレンタイン限定のチョコを買って食べる。パッケージがかわいかったり、趣向を凝らしたものが多い。普段とはちょっと違う面白いものがあるので、手に入れば買う。そして親しい人に「こんなのあったよ」と渡して「へー、かわいいね。」「へー面白いね」と言い合う。というのが以前からのバレンタイン。
今年はなぜか猫のパッケージがあっちこっちにあったので、買いました。バレンタインと猫は特に関係ないけれど、かわいいから。
テオブロマ監修のチロルチョコは今年は犬。去年は猫だった。また今年も買って味わう。あのパッケージの絵を描いている樋上公実子さんは、そういえば気さくな人で、有名な画家なのに、インスタで時々コメントしてくれる。
気さくな人っていいな、と思う。そうなりたいなあといつも思うけれど、私は気さくとは正反対の性格らしい。自分がどうというのはなかなか、正確には考えられないものだけれど、とにかく、気さくではないだろうなと思います。
気さくな人というのは、自然に気さくなので、自分では特段気さくだとは思っていないことが多い。多いというより皆無かもしれないな。自分では「引っ込み思案だ」とか「人見知りだ」なんて思っていることが多い。だれでもそういう一面があるから、自分はそうだ。と思っている。けれど、誰が見ても「気さくだよ!」という感じ。そういう人は。もしかして、自分で気さくだと思っている人は作っているのかもしれないな。
とにかくナチュラルボーン気さくな人に出会うと、憧れというか尊敬に似た好意を感じる。たぶん、自分にない美点に出会うと人は憧れを感じて好意をいだくものなのではな。で、私はそれが気さくに対して発動されるので、やっぱり気さくではないんだな。と想像。何の話?(いや、時と場合によっては嫉妬だとかマイナスの感情を抱くことがあるのか?)
とりあえず、バレンタインチロルから気さくを連想いたしました。