幕末宮廷絵師

根津美術館で端合った 狩野派と土佐派 見に行きました。

幕末宮廷の絵師たちという副題ですが、その系譜へつながる漢画や室町の絵も出ています。室町時代の好きな屏風、四季花鳥図屏風が出ていて、久しぶりだなと思う。とても好きな屏風だ。

江戸時代、17世紀ぐらいになると、もう現代人とも共通のような人体の捉え方のような気がするな、と思う。絵自体も現代人にすんなりわかりやすいようなものが多いと思っている。華やかな絵の具の色もわかりやすい、細かく、微細になってすぐに「きれい」と思えるような源氏絵を見て思うのは、17世紀の江戸は美術はもう近代なのではないかなということ。人体の捉えかた、細かさなど。

2階に同時開催で御伽草紙2題。賢学草紙絵巻と玉藻前草物語が出ていた。やったー。

賢学は道成寺系統の色々ある物語の中のバッドエンド系の物語。なかでも謎めいた殺人から始まる後味が悪いというか、ずっと味わいの苦い物語で、毎回姫を応援してしまうよ・・・と思う。可愛そうすぎる。賢学頭おかしいよ。と。まあ迷いまくっているので死んで当たり前というところでは納得??の物語なのでしょうが、姫が可愛そすぎるが、最終的には鬼(龍)となって強くなったのでまあよしか、とも思う。

賢学は全然勉強なり修行なりが身についてないと思う。

 

玉藻前草物語は殺生石の話。「犬にて稽古」のシーンもあり、色々バージョンが有るようだけれど、今回の室町時代の絵巻は狐がかわいい。素朴さのある絵に怪しき狐の話の雰囲気はあまりなく、なんとなく明るいような気がする。最後のお腹から仏舎利が出てくる超展開。そして上総介だけなぜかご褒美が・・・白い珠のほうが良さそうな気がするのだが。じゃんけんで負けたのだろうか。

好きな絵巻で満足。

茶室展示はもちろんひな祭りのある3月の茶会。「ひな祭りの茶」。

茶室展示の掛け軸は柴田是真の雛図。毎回あの表装気になる。

 

 

休みの日

靴を磨いた。

しまってあった靴がきっと乾燥しているので、クリームを入れて、ワックスで磨く。

簡単に二足。

革靴で合うものがなくて、最近履いている靴は、なんとか合うもので、合成のエナメル風のもので、履くとすぐ伸びてしまうものだ。

だから靴磨きをしなくなっていたけれど、靴を整理したら随分前に買った革の靴がまだ残っていたので、出して磨いた。

梅が咲いた

つい昨日で蕾だったのに、今日は3つ4つ。次々に花が開いた。桃色の花が枝についていて、春らしい雰囲気になった。

プレスタのチョコレートを買った。

売り場に買いに行ったら、いつも気に入っているものがことごとく売り切れ。どうしてだろうと思ったら、バレンタインで品物がなくなったとのこと。存在を忘れていたので驚く。忘れていたのはバレンタイン。

次回は3月入荷という。そしてそれはもしかしてホワイトデー?と思ったのは今日で、そのときはまったくわからなかった。あれはまだやっているのか。

春の洋服を買った。

といっても、ブルゾンとスカートのみ。その服装がいったいいつの時期に着られるのかわからない。一年経ってしまうと、いつがどのぐらいの気温だったのか思い出せないのだ。せっかく洋服を買ったので着たい。仕事では着たくない。

バッグを注文した。ずっと布だけ持っていたものをやっとバッグに仕立てることにしたのだ。次はツイード生地を買って頼みたい。と野望だけはすぐに湧いてくるが、そんなに色々頼めないのだ。残念だ。

小村雪岱スタイル

小村雪岱の挿絵は興味がなく、でも、デザインは素晴らしいなと思っている。

写真で見るより、絵は実物を見たほうが抜群にいい。

三井で開催中の小村雪岱スタイルを先週見てきました。

小村雪岱。人物画に幼い頃から興味がない私。美人画のほうはそれほど興味がなかったのですが、実際に絵を見ると、私がなぜこの人の絵が好きかといえば、清潔感、清潔感のある空間表現なんだな、と思い出させてくれる絵でした。

でも、美人画じゃないジャンルのほうが好き。

最初は本装丁でいいな、と思った作家です。

誰が袖みたいに、持ち主が居ない絵のほうがやっぱり好きだな思います。あるいは街、家並みだけなど。人が書いてあっても、ちょっと離れていたり、一部しか出ていなかったり。人の形でも人でなかったり。といったほうが惹かれます。そして色合わせ、これがすごく好き。

掛け軸もたくさん出ていました。これは人物も多かったですが良かったです。表装がまた素晴らしい。こんなかわいい表装あるんだと思う表装でした。小村雪岱美人画らしい表装。

装丁も人気のあるジャンルで、色々と並んでいました。全部かわいい!

草花、小鳥、小さな虫。雅楽を舞う人。真似して私物を飾っちゃおうと思いました。

私物といえば。道具類も色々あって、どれも見事で見ていて楽しかったです。木彫ですごいのが出ていて、それもすごく好き。あんなのを家においている人たちがかつて居たのだなあと思います。美しい生活を当たり前に送っていた人たちってどんな感じなのだろうと思います。

 

 

三番叟

昨日新年だと宣言したからではありませんが、遅ればせながらテレビで録画していた国立劇場新春上演「四天王御江戸鏑」を見る。

三番叟で始まるのも新春らしい。私は翁も好きだけれど三番叟も好きだ。歌舞伎の三番叟はあまり良く知らないけれど、煮ているなと思った。三番叟のあの呪術めいた曲、力強い舞は自然の力を呼び出そう呼び出そうとするように見える。

番組は色々入ったお楽しみ袋みたいな話で、豪華だし、楽しいし、少しおふざけがすぎるような気がするけれど、とにかく憂さ晴らしにはいい舞台。大筋は歌舞伎らしいぶっとんだ御伽草紙みたいな内容で好きなタイプ。鬼切丸、蜘蛛切丸できられたんじゃ?というものをなぜに復活?と思いつつ見ていると、悪者もこってりした格好で出てくるし、気楽に面白がれるぱっと明るく派手な番組。

芝居でもみてぱっといい気分になりたいというときに。

 時代も空間もすっとばして、多少(どころでもない場合もある)整合性が失われていても、辻褄が合わないぐらいの話が勢いがあって好きだ。新作になるときちんと辻褄があったきちんとした話になってしまうことが多い。現代人の悪い癖だよ。と毎回思う。きちんとしていなくても、何がなんだかわからなくても、その場面その場面、その瞬間その瞬間の辻褄やみたいものが合っている方が話が生き生きしてくるのだ。小説じゃないからかな。その場その場の真実があればOKというところがあると思う。今回のもうむちゃくちゃなぐらいの、そして段ごとに「これがいいでしょ?みたいでしょ?」という場面を作っているところなどいいなと思う。