大好き絵巻

現在開催中のサントリー美術館リニューアル記念第二弾の企画展「日本美術の裏の裏」
企画展の題名の付け方だとか、展示の仕方が最近「親しみ」や「やさしいよー」といった
ことを意識しすぎているような気がします。
仕方がないのかなあ。最近の流行りだと思います。
 
サントリーは割合好きなものを多く出すのでよく行きます。
も大好きな絵巻と屏風が出るので大喜びで観に行きました。
 
先頭の「青楓瀑布図」から始まりしばらく好きな屏風、四季花鳥図屏風(前期後期で屏風が入れ替わる予定です)、 浄瑠璃物語絵巻や武蔵野図屛風が続きます。
 
絵巻草紙コーナーは
面白いお話で大人気の「鼠草子絵巻」。美しい花鳥絵と和歌でやはり人気の高い「雀の小藤太絵巻」可愛らしい絵柄に似合わぬ話で私はちょっと苦手な「藤袋草子絵巻」、そしてびっくりするような御用聞きの尼が出てくる「おようのあま絵巻」と人気絵巻が多数。このあたりは親しみやすさを狙ったものかなと思いました。
期間中巻かえがあるようです。展示箇所は期間中変更されるようです。
 
今回は「かるかや」について。
今回展示は結構な部分展示があり、あらすじがだいたいわかるぐらいに展示されていました。
 
以下かるかやーーーー
 
また人気の絵入本「かるかや」が公開になっています。
かるかや物語は素朴な絵の折本仕立て。本は冊子仕立てだったと聞いている。
少し長いけれど、あらずじ。
筑前苅萱の庄 加藤左衛門重氏が六カ国を治める身である時、酒宴の盃に舞い込んだ蕾に無常を感じて出家を決意するところから始まる話。
出家を思いとどまるように説得する御台を振り捨てて、出家のための旅へ出る重氏。京都までたどり着き、京都清水寺で出会った聖に京都新黒谷、金戒寺を教えられ、法然上人に出家を願う。
数日とどまり故郷から尋ねてくるものがなければ出家を許すと上人に言われたので、
重氏は門柱の石を枕に決心が固いことを示しつつその地にとどまった後、問答をし、誰が故郷から来ても出家するという固い決意を述べてあらゆる神仏への誓文を立てめでたく出家。
戒名は苅萱の道心。新黒谷に五年、夢で故郷の御台と子供が尋ねてくると不安になり、それならばと女人禁制の高野山へ。
一方、御台所側ストーリーは、「子供ができたので思いとどまって」と頼んだのに翌日障子を開けたらもぬけの殻。
書き置きに「生まれてくる子供が男の子なら石童丸。女の子ならまかせるよー。」なんて書いてあって、愕然。
「この世の縁は薄くても来世でやがて会うべき」なんて書いてあって、「自害!」と思うも女房の説得(よかった)で思いとどまるのでした。
時は流れて十三年。生まれた子供は男の子で石童丸と名付けらており、ある日父がいないことを尋ねると、お腹の中にいるときに発心して出家済みとの話を聞き、母御台と共に石童丸は父を探しに行くとを決意。
ついに新黒谷に到着するも尋ねてみれば「夢で追いかけてくるのを見て高野山へ行きましたよ」と知らされる。
そこで舞台は高野山へ。
高野山は女人禁制のため、御台は宿にとどまりこの先は石童丸の冒険に。
高野山をさまよったり出会う聖に父の行方を尋ねたり、途中宿に戻ったり。そしてもう一度高野山へ上り、やっと奥の院の橋で父に出会う。
お互い顔を知らないので、石童丸はこの父道心の袖にすがって父の行方を問う。そこで父は父はもう亡き者と教え、ここがお墓、と場所を教える。
石童丸は墓と偽られた場所の卒塔婆に姉から預かった綿衣を着せて抱きついて泣く。可愛そう。
卒塔婆を抜いてせめてと母に見せようとする石童丸。でも他の人の卒塔婆なので、父は慌てて「私が卒塔婆を書きますよ」といって書いて渡す。
一方母御台は宿で待っている間に病で亡くなってしまう。
身寄りがなくなってしまう石童丸。再び高野山へ上り、出会った道心に母親がなくなったことを報告。道心は山を下り御台がなくなったことを確認した後、御台を剃髪。遺骨は高野山へ納め、御台の遺髪を故郷の姉へ届けるように道心は石童丸に告げる。
石童丸が故郷に戻ると姉は亡くなっている。国を一門にあずけて再び母と姉の遺髪を持って高野山へ。
下山してきた父道心と会うのだけれども、父道心は大誓文があるので父だと名乗ることができない。
道心は石童丸を出家させ仲良く過ごすが「親子では?」という風聞を避けるため再び別れる。
「もし南に紫雲たなびくときは道心が死んだと思え」と言い残して父道心は北へ。信濃国善光寺で八十三歳で往生。同日出家した石童丸、道念も往生。という話。最後は蓮華が降り二十五菩薩が顕れ二人は善光寺に親子地蔵として祀られた。という話。
石童丸かわいそうだな・・・・というストーリーなのだけれど、仏の道のありがたさといったところでストーリーは終了。
素朴な絵で展開する話なので昔話といった雰囲気で読んでしまうのだけれど、よくよく昔のすぐに人が亡くなってしまう生活だとか(特にたびに出たりすると)厳しい世の中を思います。