12月はおしまい

仕事で悩んでいるうちに12月が終わりそうです。

いつのまに。

昨日はテレビで川奈ホテルの特集番組を見ました。バロンのカントリーサイドのホテル。へーっと見ながらあんなふうに人がいなければ優雅な気分だろうなあなんて、テレビをみつつ、気分だけゆったり。

最近読んだ本で青空文庫で面白かったので古本を買った本、「上村松園随筆全集」青眉抄とその後で結構かぶっている内容もあるものの、面白かったです。何より興味深いのが松園の母。松園が明治八年生まれ。ということはお母さんは江戸時代、幕末の人だったんだろうなあと思う。松園が生まれる直前に夫をなくし、その夫が始めたばかりの葉茶屋、つまりお茶の葉を売るお店を四条通で続けたお母さん。夫をなくすと周りに「再婚しろ」だの「商売をやめて小さく生活したら」など言われても「今小さくしていつ大きくする」「一人で三人食べていって見せる」と言い切って、本当にそうしたという。

「大事おへん」で乗り切れるその力もそうだけれど、なにより幼児の頃より絵ばかり描きまくっていた松園をそのままにしておいたところが面白い。そんなに好きなら、と幼児の頃から絵をねだられば「おうおう」といって買ってくれた、と随筆には書いている。そして周り中から(女の子なら)針を習わせろ、お茶を習わせろ、という声を完全に無視。小学校を卒業したら府立の絵の学校へかよわせている。それも「好きなら行ったらいい」という態度で。家のことは一切しなくてOK。と。そんな子育てをした母親とどうも、次女である松園は結構気が合う母娘だったようだ。

母親はといえば、商売をしつつも古本屋や貸本屋でどっさり本を借りてきたり買ったりしてしょっちゅう楽しんでいるような人で、なかなか美的な感覚もあったようだ。そんな本を母娘で本を挟んで眺めたという情景が随筆にも出ててくる。二人で本を楽しんだり、でかけた先で「この絵はいい」と思った絵に出くわすと「買ってくれ」とねだれば買ってくれる(おそらく本の錦絵だとかそういったものだろう)、そして文字が美しかったと。

そんな思い出部分が一番おもしろかったかなあ。天才だったのだろうけれど、天才を生み出すには一人ではなくもうひとりやはり必要なのかなあと。もうひとり才能のある人のちからが。作品についての本人解説も結構載っていて、お能の画題もあり、金剛流の謡を習っていた話などもおりまぜて、読んでいて楽しかったです。