ヒーター来ました

ヒーター来ました。

 

暖かい・・・・!

 

ある研究によると18度以下になると体に負担が大きいとのこと。確かに寒い場所にいるとつらい。今、ヒーターを入れてはっきりと「楽」とわかります。暖かいのは体が楽。

 

ガスファンヒーターの威力を実感しています。あたたかいなあ。

冬は22度ぐらいあると楽だな。

リンナイの普通の安いファンヒーターを買いました。少し大きめ。

 

買い物に行く道すがら、通りかかる花屋の店先に、ちっちゃいポットに土を詰めているものが並んでいました。近くに行ってのぞき込んでみると、チューリップ、ヒヤシンスの文字。チューリップ。こんなに寒いけれど、もう春の準備だねえと母と話す。

チューリップの球根は土の中。家の竜胆も上は枯れはてて、カラカラだけれども、きっと根っこは眠っているだけのはず。そう思って毎日お水をあげています。

スーパーでミニ水仙の鉢を見つけて、母がかわいい!と言う。相談して買うことにして家に連れて帰りました。確かにかわいい。鉢植えのまま、あっちこっちに移動させてかわいがっています。日光に当てたいときは門柱の上。だとか。

 

最近読み返した本。

風眼抄。山田風太郎。ところどころ「あーそうかも、そういうことあるね。」と思う随筆。一番「あーあるね」と思ったのは「お風呂」について。家でぬるい温度のお湯に入って徐々に暑いお湯を足して温まるという入り方は私も同じだから。

そんな入り方をしていると、湯船につかっているとき、片方の手で熱いお湯が入ってくる方の手でお湯を絶えずかき回している。この手の動かし方が毎日の事なので、お湯につかるのとセットになってしまい、まわさなくてもいい銭湯や温泉でもお湯にはいったとたんに自然に「ゆらゆら」やってしまう。とうのは私も同じ経験がある。

そして、なんだか情けないような、とまでは言わないけれど、カッコ悪いような極まりが悪いような気分になったような気がする。何やってんだろうというのと小さい自分の生活がどこまでもついてくるような、身についたものはこびりついてどこにでもついてくるんだな、という当然のことに可笑しいような、そんな感じがしました。

あまり好きな随筆ではないので、読むのに苦労してしまった本。もう処分する。

もう一冊、読み返しの本でこちらは好きな本。与謝野晶子の「私の生い立ち」。この中で一番好きなのは堺の街が浮に浮くといいう「夏祭」。この本の中で一番好きな章。

与謝野晶子の子供のころの堺の夏祭。生き生きとした描写で町の人、遠くからこの日を目指してやってくる親戚や人々の熱狂といつもとは違う街の華やかさ、夢のような夏の祭りの日の情景が美しくとても好きなのだ。人の熱狂が今とは絶対に違うであろう所、街にともされる明かりも家の明かりもすべて火であるところ、それがずーっと連なって夜でも明るいところなど、今とは違う感激があるに違いない。

この日のためにみなが心づもりして準備する浴衣、家の商売の手伝いをしつつもだんだんといつのまにか祭りの準備となっていく家の様子など読んでいるこちらも感激しつつも浮き立っていくようなそんな気分になる。

子供向けに書かれた文章、児童用のものを集めた一冊なので、子供時代の事や、出会った子供の事についての章がほとんどでどれも親しみやすい、簡単な文章が多い。