違う方の季節

立花隆のドキュメンタリー「見えた、何が、永遠が」を見たと少し前に書いた。そのドキュメンタリーを見たので、それではランボーの「地獄の季節」を本棚から出してきて読む。だいぶ前に買ったもので、たぶんまだ学生のころだろうと思う。買った当時読んでもよくわからなくて「大変だ」と思って終わった記憶がある。

今読んでみてもやっぱり「大変だ」という感想。とにかくあっちこっちにイメージの方向が飛び出していく。それをそのまま出すものだから、読んでいるととても疲れる。それに言いたいことを言っているようで、その真ん中はかくしてあるような。そんな印象も受ける。同時に、読んでいるととても辛そうだ。とも思う。これはつらいのではないかと。本人はつらがっていないのだろうけれど。誰も「自分」という入れ物からは出ていくことができないからなあと読みながら思う。私は詩を子供のころから味わえないと思っているが、そういう私だからわからないのかもしれないが、とにかく「わからん」という感想と、やっぱり、「大変だな」という感想しか出てこない。本人がどんな気持ちでああいったことを書いているのか。自分を気に入ろうと気に入らなかろうと自分以外の人のふりはできない人だったのだろう。と想像しながら読む。けれど、とにかく読みこなせないので、適度に読んで、そっとまた本棚へ。やっぱりわからない本だなあ。

川端康成随筆集を読みはじめる。

仕事に行く途中用には好きな奈良絵本の絵を持っていく。以前から持っていて読んだことがある本で息抜きに読むつもり。