肩が痛かったときの話

時期としてはいつ頃だったか。と思い出してみると、

癌の手術後に検査に行っているときのことだったと思うので、その頃の事だ。

タクシーに乗る時、右手をついた。右手をついて乗ったのだけれど、うっかり勢いがついてしまい、思ってたより勢いがついて手をついてしまい、伸ばした腕が肩のほうへ、ぐっと入る方向で、強く力が加わってしまった。ものすごく痛くて我慢するのが大変なぐらい。ものすごく痛かったけれど、とにかく我慢。どうせそのうちよくなるだろうと。

その日からが大変だった。

痛さは増していくばかりで、腕がうごかせない。寝ていても起きていても痛い。

特に寝るとものすごく痛くて、体を横にすると、腕の重みで若干、肩が背中側に動く。それが耐えがたいのだ。で、仕方なく座った状態で寝ることに。それでもとにかく肩の位置がすごしでも動くと痛くて痛くて。座った状態でも腕位置をうごかせないし、腕の重さで肩が痛い。

それでも、一週間ぐらいそのうち治るだろうと思って待っていた。寝られないし、歩くと痛い。腕を動かさないようにしていても、肩というのは微妙に腕の重さで下に下がったりするもの。それだけで激痛なのだ。歩くとそれだけでいたい。腕を動かさないで歩いても、どうしても微妙に肩は動く。

一日中痛くて眠れない。

眠れない日が何日か続くともう、悲しくて悲しくて、疲れてしまった。痛いというのはものすごく悲しい。つらい。一週間二週間と続くと気がおかしくなりそうだった。

仕方なく病院に行くと、「よくある四十肩」と言われた。えーこんなに痛いものなの?

ほうっておくしかないようなそんな話で、でも、もうだんだん放っておいたら腕が上がらなくなり、ごはんが食べられなくなっていた。ご飯のお箸が持てないのだ。お箸をもって、胸のところまで手を挙げることができない。

こんな状態になっているのに?腕を体の前にもっていくと、なんだか見たことがないような形になっている。肘の方向が変なのだ。え、これって放っておいていいの?絶対違うような気がする。

顔もあらえないのに?(そのポーズがとれない。手で水をすくうポーズすらできない。)蛇口のところまで手も伸ばせない。

ということでほかの病院へ行くのでカルテが欲しいというと、ものすっごく嫌な顔をされ、「ま、いいですけとね!」と言われつつ、カルテをもらう。

診断は変わらないけれど、リハビリをしてもらえることになり、次の病院でリハビリ。腕の肘の方向直りました。ふー。四十肩ありふれたもので、けがじゃないからって軽く考えすぎ。病院は。

腕が曲がっちゃうというか、変な方向に固定されてしまっている状態はほうっておいたらますます変になって治らなくなっていたので「四十肩だから放置」とか「簡単に腕を上げる体操」みたいなああいうのじゃダメだったと今でも思う。そりゃけがじゃないかもしれないけれど、その後の生活は不自由になったと思う。生活のクオリティーが下がってしまうし、体が不自由になってしまうではないか。それ、放置なの?と思うと病院の態度は気になる。リハビリしてくれた病院も食い下がってのことだったので、もう、ほんと、以前からだけれど、こういう病院って嫌い。はっきり検査で(自分が狙った検査で。他の検査では出るかもしれないけれど見立て次第だと思う。)「異常」と出たり、外科だったりすると骨が折れてるとか写真にとれるもの以外を軽く扱う態度。ほんと嫌だなと思う。

療法士さんに見てもらって、筋肉を伸ばして、ある程度伸びたら自分でなんとか家でも伸ばして治りました。ふー。あのままにして置いたら骨だって変な形になっちゃうかもしれないじゃないですか。筋肉委縮したりしてかたまってたら。

そんなことがあったりするのも年取ったからだねえと思っていますが。

そして、誰かが肩が痛い。と悩んでいると、ものすっごく同情できるようになりました。前より深く。自分が体験してみないと、やっぱりわからないものはわからないなと改めて思います。痛いというのは特に孤独なものだ、とわかってはいたけれど(子供のころ方あっちこっち痛いので)、でも、やっぱりどこか痛いといわれても、一般的な「早く治ったらいいな」「心配だな」という気持ち以上に、さぞつらいだろう、眠る時もつらいだろうというところまでその場で思えるかどうか。毎回は思えないのではないかと思う。自分が体験すると、そこまで思うまでの距離というか、時間が短くなる気がする。