昔のアカウント

もう読むことはない。とRSSを削除したタマコさんのブログ。かなり前に、仕事場の端末で保存していた、今はアップデートされないRSSリーダーが残っていて、そこで読みました。過去の2016年から2019年ぐらいまでが保存されていました。2016年以前に読み始めていたけれど、このRSSフィードがアップデートされなくなったのが2019年の後半ぐらい。

アップデートされなくなったのは、RSSフィードを設定しているアカウントがオフラインに移動したからで、放置してあったもの。タマコさんは今年の初めにいなくなっているので、すでにいない人なのに、この過去のブログを読んでいると、なんだか普通におしゃべりを聞いているような感覚になって、不思議な感じ。

私がそのブログを読み始めたのが2014年ぐらいなのではないか、と思っています。あまり覚えていないけれど。もしかしたらもっと前かもしれないです。

到来物のおいしいもの、自分が買ってよかったものなどを、見た人が探せるように情報を出しているので、私もよく「どれどれ」と取り寄せてみたりしたものでした。そんなことを思い出します。

今朝、少し前に録画した江之浦測候所回の日曜美術館を見る。すっきりしていて、ちょっと怖い美しさがある江之浦測候所。割合自然を冷たい感触で切り取る人だな、と思っていたのだけれど、江之浦測候所は実際の自然風景を一緒に展示しているので、それほど冷たい感覚はテレビを見ていて受けませんでした。でも、やっぱりちょっと、うっとするところがある。

この場所の事はお能間関連で知りました。写真で見て、風景が美しいので行ってみたいな、と思っていました。前日分の日記で読んだというタマコさんのことを思い出したのは、病が重くなるにつれ「もう美しいものしか見たくない」と書いていたのを思い出したから。

私はといえば、約五年前に癌になって、幸福なことに、長く治療をすることもなく、今はとりあえず平安に暮らしています。だから、病とは関係ないのですが、私は生きているととても苦しいので、子供のころから、美しいものにあこがれ続けています。そしてあこがれつつ恐れていると感じています。いくら好きでも、美しい例えば絵や焼き物、建物は自分ではないから。かもしれません。そういえば、いつも大好きなものや楽しみなものを恐れて、なかなか近づけない、手に取れないところがあります。子供のころはそがとても強くて、なぜだかよくわからないのですが、今も続いています。

例えば、子供のころ、プレゼントをもらうとうれしすぎて開けられないということがありました。それは痛みを感じるほどのもので、痛いので近づけないというほど。プレゼントは美しく包装されていて、特別にリボンなどの装飾がされているようなもの。

だんだんそういう感覚も鈍くはなってきているものの、反射的に感動したものや、強く惹かれるものに痛みを感じます。そしてぱっとその瞬間拒否するような感覚がある。

なぜなのかわからない。

行ってみたいなあと、少しの痛みを感じつつ、江之浦測候所の番組を見ました。行ってみたいなあ。