蔵出し蒔絵コレクション

久しぶりに根津美術館へ。

いつぶりだろうと数えてみたら、以前訪問してからおそらく4か月ぐらいたっている。

だいぶ間が空いているのでひとつ前の展覧会にはいかなかったのかもしれない。

今回のテーマ漆芸。

根津美術館が所蔵する蒔絵コレクションの展示。

見ていて、作品とは関係なく「また、だいぶ目が悪くなったなあ」と実感。なにせ蒔絵の絵柄が光の加減で全然見えない。作品の上に研ぎだされた文字も全然判別できず。

とはいえ、ある程度は見えるので、作品の上に展開されている世界を探りながら見た。

例えば、雪月花三社蒔絵朱盃とくれば、その三社は何かなと盃の中の絵を見る。月と鹿とくれば、きっと春日大社、岩が二つ夫婦岩のようなものがしめ縄で結ばれていれば、これは伊勢神宮のことだろう。近くに木々が茂っているので、これが雪月花の「花」、桜なのだろうと思う。さて、もう一つは、竹に重そうにつもる雪に鳥が飛び交っている。きっとこれは雪月花の「雪」にあたる盃で、竹なので竹林で有名な岩清水八幡・・・???かなあなどと考えながら見るので、それなりにひとつひとつ時間がかかる。

展示物には貝桶もあり、貝桶好きとしてはうれしい。立派な重々しい貝桶で、まあ絵柄はたぶん源氏かなあなどと思いつつ見る。貝桶は輿入れ調度の中でも地位が高く、たしか家老クラスの人が姫の輿入れ時には持っていく。と聞いたことがある。中の貝の絵はミニチュアールの絵のようなものではなく、どちらかというと素朴な雰囲気を持つ、緋ちまいの貝に一つ、何かしらが描かれているというスタイル。たとえば貝の裏にポツンと「蓑」だけ描かれてるような形だ。

これら美しい調度品など手回りの物、生活の品を見ていて美しいなと思う一方で、少し前にT先生と話したことを思い出した。最近は漆器があまり人気がないという話だ。生活のスタイルにあまり会わないのだろう。骨董店に行くと、まあまあの感じのいいものが意外と手ごろな値段で売っていて、心が動くことがある。けれど、考えてみれば、「使う」機会がないな、と思ってやめることが多い。そんな話をしていて、自分たちだけでなく、全体にそういうことで「人気がない」という話になった。染付やなにかのほうが人気があるのは、現代の生活の中で組み合わせて使いやすいからだろう。

そんなことを思いながら、さまざまな硯箱(確かに硯箱自体を使わない)や料紙箱(大きくて美しい)、提重などを見る。この美しい提重を使うような生活はなんと優雅なことだろう。そういえば、重箱も、漆器自体を祝いの席でしか使わなくなったなと思う。普段のお味噌汁は漆器のお椀で食べているけれど、それ以外で漆器を使うことはほとんどないように思う。菓子入れぐらいだろうか。父は手箱を使ってはいるが・・・など思う。

日本で発展した漆器は優雅で美しい。いつごろから生活の中から姿を消していったのだろうと思う。

私が普段使っている楽器、小鼓もそういえば漆の楽器だ。胴や皮の縁、裏を漆で塗り、胴のは蒔絵がされていることが多い。

展覧会でも楽器コーナーがあり、琵琶の箱、箏の箱、三味線の胴の漆展示があった。やっぱり日本の楽器は漆が多いなと思う。箱を美しく飾り、堅牢さを加える。そういう漆が昔は生活の中にあったのは木を使う生活をしていたからなのだろか。と思って見学を終えた。