歌枕あなたの知らない心の風景

サントリー美術館で開催中の「歌枕 あなたの知らない心の風景」を見に行った。

歌枕をテーマとは嬉しいなと思って、開催前から楽しみにしていた。

私は旅行に行く先を決めるとき、ひところ歌枕を参考にしていた。歌枕や謡跡をそのまま見に行くと、芭蕉ではないけれど、なにもないということになるので、あくまで旅のきっかけとして利用していただけだけれど。

歌枕、あるいは特定の地名や場所、ものの名前は和歌の世界では特定のイメージを持っている。たとえば有名なのでは龍田。「韓紅にみずくくるとは」は有名だから、これは現代人でも紅葉で龍田ですよと言われればそうかなと思うものではないかと思う。和菓子の世界でもよくつかわれるもので、菓銘などでも赤系統の色のもので龍田とついていればすぐに紅葉する山であったり紅葉そのものだな、とすぐなるほどねと思う種類のものだと思う。

龍田川などは有名な歌で決定づけられたようなところがあるけれど、繰り返し繰り返し歌われ、その歌が味合われることで、なんとなく、「そこといえばこういう風景なんでしょう」というイメージが確立する。

平安の昔の人でも、それぞれの場所に行ったことがあるかといえばなかっただろうし、それは旅行ブームが来たという江戸時代の人たちだって、なんとなく、この場所といえばこんな風景というイメージで特に場所をとらえていたのではないかと思う。

現在、行けない場所はそれほどないけれど、でも現代人の私でも、それぞれの場所に行ったことがあるわけでもなし、やはり遠い昔の人と同じで、その場所といえばそんなイメージがある場所なんだろうなあというイメージを持っている。

それらのイメージは工芸品や絵、そして囃子の稽古のなかで聞こえてくる和歌の子孫でもある謡のなかの文句で出来上がったものだと思う。もちろん現代人なので、そのイメージそのものの世界が展開されているとは思っていない。

けれど、そういったイメージがある場所として、実際行ってみたいな、と思って旅行の行き先としてその歌枕を含む場所がが行き先として決まったりする。

歌の中の世界とはもちろんまったく現在の(昔もだろうけれど)違うけれど、でも、行くと昔の人が夢見た風景はいったいどんなだったのかなあと思うことができる。

特に、島や海、湖などを見ると、まったく違うところもあれば、空と水、島の影などはそのころも変わっていないのではないかと思うところもある。それに、現在よりももっと静かな世界だったのだろうななどと想像することもできる。瀬戸内海の島々や、たとえば淡路島へ行けば「ここが淡路(謡曲)」の舞台となったところか、と思うし、淡路島から船で海にでれば、あちこちに源平合戦の場所があろうし、外海とは違う海の上を船で進んでいく気持ちはいかなるものかと思ったりもする。壇ノ浦なんかも行くとやっぱりあの曲、この曲の場所かとも思う。歌枕なんかの場所もそうだ。謡のなかでたくさんの和歌が引用され、また和歌の中のイメージから場所を説明することが多いからだ。

そんな風に、まったく縁遠いものも歌を頼りにイメージを借りるとその場所への興味も沸くし、風景も趣深く感じられる。旅行も楽しくなるのだ。

とにかく、歌枕の名前はいつのまにか聞こえてきている音、なんとなく聞こえてきている名前が多く親しみを感じる。

さて、展覧会のほうは、歌枕となった有名な風景を描きこんだ屏風、絵巻、硯箱、器、古筆など。和歌が書き込まれていることが多いので、絵巻などに書いてある文字もある程度部分的に読めれば、なんとかたどっていける文字も多く、その点でもいつもより読みやすいこともあり、楽しい展示だった。そして連続で見ていくと、絵画表現にある和歌のお定まりの型のようなものがより見えてとても面白い。知っていたものでもこうして並べて連続して同じ歌をあれこれと違う形で見るというのが面白いのだ。例えば、馬に乗って貴人が袖を頭の上にかざしていればそれは佐野の渡りなのだし、秋草が広がり月が出ていればそれは武蔵なのだし(武蔵野はいつだって秋)、紅葉がたくさん川に流れていれば、それはたいてい龍田川なのだ。

同じ場所を屏風絵や絵巻で見た後、今度は器に描かれた絵付けや蒔絵で見るという展示なので、だんだん見ているうちに「あ、これはさっきみた場所だぞ」「これはさっきの歌と同じ場所だな」と思えるので、前の展示がヒントとなって、いつもよりわかりやすのもおもしろい。見進めていくと「またこの組み合わせか、じゃあ同じ場所なのかな、あれ違う」ということもあったりして、見てから説明を見るのもクイズに答えているみたいで楽しい。よく見かけるあの図、組み合わせはこの歌ですよ、と教えてもらえるのはただ見るよりも面白いものだ。なかなかなんとなく知っていても、その場ですぐに出てくるものではないから、答え合わせしながらの鑑賞はすごく楽しい。

そんな楽しい鑑賞ができる展覧会。展示物の数も適度な数でじっくり見てもそれほど疲れない。歌枕の世界は現在の生活と遠い世界か、といえば案外そうではなく、日本に住んでいるとなんとなく見ている意匠、聞いたことがある場所が繫がる瞬間はなかなかたのしいものだし、昔の人が持っている夢イメージを知れば、ほかの絵画を見る時や歌、謡を聞くときもっと豊かな気持ちになれるのではないかと思う。