最終回

「恋せぬふたり」の最終回。

勇気をだして、みんなはどう思ったのかなあとTwitterで検索をしてみた。あまり多くはみていないけれど。

Twitterなどで「このセリフが刺さった」など書いてあるのを読む。

私は、「刺さった」セリフはなかったけれど、一番最後の最後で無口になりがちな羽のモノローグは「そうそう」と思うところがあった。言いたい事を全部モノローグ処理はどうなのか、と多少思うけれど。キャラクターとして自分の考えを言う人(いうタイミングがない人)なので、ずっとお芝居では表現されていた(それはすごい)けれど、やっぱり最後に言葉としてまとめなくちゃ、伝わらないということなのかな。最後にまとめて大発表は「最後に要点」みたいだったなと思う。あれはもう感じられない人、立場の違う人への教えの役割なのかな。

あきらめから一歩出ることで返ってくることがあるというのは私にはよくわからない。そういうことがあるのは素晴らしい、とは思う。そうある人もきっといる。しかし、私自身はそれに対してのあきらめがある。私は人生の中で、人間関係、社会的なことでで返ってくるという経験がないからだろう。

「説明を求められる」状態、そして「説明を求められない人々」。そういうのを若いころからずっと考えていた。そして「説明を求められる」立場のうとましさ、説明してもむなしいだけというのを繰り返していると「あきらめの中で生きる」ことになるのはよくわかる。自分としてもあきらめの中で生きているので、その点ではそう。と思った。興味深いドラマではあったけれど、なんというか、ドラマとしての味わいについては少し私は薄かった。

言い方としていいかどうかわからないけれど、「刺さった」という話でいうと、ものすごく心に残ったのは、実はこのドラマに関するNHK掲示板のある投稿。Twitterで偶然紹介されているのを見。NHKにはドラマに関する視聴者の掲示板があるのだ。そこで、おそらく私と同じぐらいの年代の女性の投稿が心に染みわたる、静かな美しささえ感じる投稿をしていた。確かにわかる、そうだよねと思う文章。それが今でも忘れられない。あの文書。静かで、きれいで、心の中の思いを、的確に、その短い文を読んだだけで、すべてが感じられるような投稿。いい投稿だったな。その投稿がドラマより印象深く思い出に残っている。

そいえば、カズ君に対して「いい人」のような感想がTwitterでは散見されたけれど、あれは狂言回しのような、ドラマを動きを加えるための人物らしさがを感じてしまったからか、私は怪しい人に見えて不気味だった。人によって見え方はいろいろだなあとちょっぴりショック。