だめなところ

いとうあさこさんに親しみを感じる・・・。と以前から思っていて、Webで公開されているいとうあさこさんのエッセイを楽しみにして読んでいる。

最近発表されたエッセイでは同窓生の話を書いていた。同窓生同士、なんとなく同質のようなそんな感覚があるという話。確かに。小学校から高校まで一緒の学校だと年代は違えどなんとなく同じような感じがあるというのはうっすらわかる。

学校にもよるけれど、なんとなくバックグラウンドが似たような人が集まることが多いからだろう。その学校になじんでいた人同士はなんとなくというのはあるかなあと思う。

姉と私は通った学校が違うのだけれど、姉の大学生の時の友人がたまたま私の出身校と同じ学校を出ていていまだにこんな年になっていても、また、ほとんど面識がないのに「後輩だから」と言ってくれるらしい。らしいというのは姉に言っているからだ。

同窓といえば。たまたま高校生の時に親戚(またいとこ?)が違う学級にいて留学から帰ってきたというようなことがあった。その時わざわざ教室を訪ねてきてくれたことがある。その時、私が思ったのは「知らない人だし何を話していいかわからないから逃げたい」だった。あきれてしまう。それであったときもまともな会話もせずに、早々に会話をきりあげることになった。

学校が同じというだけで後輩と言ってくれるような優しい人や、わざわざ興味をもって訪ねてきてくれる(といってもこの興味をもってきてくれるのがプレッシャーだった。期待はずれでしょみたいな気持ちが強かったと思う。がっかりされるのがいやだったんだなきっと。見栄っ張りが出たということか。そのぐらい我慢しようと今は思う。)という貴重な人に会っても、その時、なついたり仲良くなったりが絶対ぜーったいできないのだ。どちらかというと「嫌われたらいやだ」とすぐ思ってしまうのではないかと思う。その場では「逃げたい」しか感じていないが。なぜかはわからない。自身がなさすぎなのだろう。その上、やっぱりあってすぐ相手を好きになるという気持ちがなさすぎるのだろう。そういうところ、興味をもって相手に向かうというところがないのは、自分のだめなところだ。と最近よく思う。

いとうあさこさんのかたせ梨乃さんとの話を読んでいて(かたせさんとは同窓なのだそうだ。双葉でしたっけ。)そういうことを思った。ちゃんと相手と仲良しになって後々まで付き合いが続くのは人柄なのだろう。こういう人柄なところがないというのは人間的に貧しいのだろうなあと思う。努力しなければ。と反省しきりな朝なのでした。