風景画の石

あれ?とそれが何か、とわかった後思った。

はじめ、なにかの風景画かなあと思った写真は、石の断面だという。

Webちくまで公開されている、本「奇妙で美しい石の世界」のフィレンツェの石という文章に合わせて掲載されている石の断面写真だ。

ページをひらいて、初めは海と空を描いた、あるいは向こう側に砂漠があるような、そんな、まあ上手ではないけれど、風景画かなあ。でも、なんでこんな風景画?と思ったら石だったという次第。

偶然うまく色の配置ができていて、風景画に見えるものが多くフィレンツェから産出され、それは「風景画の石」と呼ばれるという。人はそれこそ壁のシミが何かに見えたり、雲の形からもいろいろなものを連想できるように、よく知っているものに寄せてみてしまうクセがある。そのクセに絶妙にフィットするような模様が多く出る場所があるのだそうだ。

これはよくできている!というものから、これはちょっと・・・グランドキャニオンみたいなものだとつまらないなあとか、そんなものまでいくつか写真が紹介されていて、昔は「風景画みたいな石」としてキャビネットにはめ込んだりして飾られることもあったと写真で紹介されていた。確かに。なんだか宗教画だとかああいうキャビネットなんかの扉にはまっていたらちょうどよさそうな雰囲気。

この模様がいろいろでて面白い石、フィレンツェの石は大理石と同じ石灰岩石灰岩は大昔サンゴなどが住んでいた海の底が隆起し、圧力を加えられてできたもの。

イタリアでは今も大理石が掘り出されており、輸出されているというから、いったいどれだけのサンゴや海中生物の死骸が降り積もっていたのかと思う。まだ掘ってもつきないほどあるのかと。

その昔の生き物がふりつもってで思い出したけれど、つい最近、きのこの話として、石炭のもととなる昔の樹木。これらが石炭になれたのはきのこがない時代だったからというのを聞いた。

樹木が代謝されるとき、さまざまな生物に分解されるけれど、その多くをきのこが担っているという。現在はこの地球にきのこがたくさんいるので、樹木がそのまま蓄積されていき、将来石炭ができることはない。という話だ。え、石炭でもう作られないのか。

あまり考えたことがなかったけれど、そいういう大昔の資源がとりつくすと無くなるというのはなんとなく感じていたことだけれど、それが蓄積するのに時間がかかり、蓄積する間がなく消費してしまうからのような、なんとなくそんな気分もあったと思う。でも、考えてみればそうでもはなく、作成される条件が今ないのだ。そういわれてみれば考えてみたこともなかったけれど、そういうことがほかの物にもあるだろう。