7月の後半、サントリー美術館の今年の夏の特別展「虫めづる日本の人々」展を見に行きました。こうして集まってみると、虫という画題は結構あるものだなと思います。虫については身近な生き物なので、絵の中に出てくれば親しみを持って眺めてはいましたが、虫中心に考えてみたことはありませんでした。今回だいぶ前に見たことがある絵巻「天稚彦物語絵巻」が出ていました。この話は昔話らしいお話でちょっと面白く、虫が活躍する話で面白いので好きな絵巻だったので、久しぶりにみてとてもうれしかったです。そのほか、虫が人のように描かれている「きりぎりす絵巻」、意外と見ごたえがある虫(蛙や蛇も「むし」の仲間として登場。そしてそれがカギになっています)の「歌合合戦の記録を模した可愛らしい絵巻「虫歌合絵巻」。これがすごく面白くて、かわいい絵巻でした。秋といえば野々宮だったり、秋草だったりとおなじみの図に必ずちょこんとスパイスを利かせるように登場する虫など、そういえば、虫は結構活躍しているなと改めて思う展覧会でした。
絵や工芸に登場する虫としては秋の虫や蝶、蜘蛛などが結構あるのですが、秋の虫や蝶などは、秋の虫については秋を現すものであったり、和歌の内容であったり、蝶についてはおめでたい図であったり、何より装飾に使い勝手が良いなどあるので、それほど不思議に思っていなかったのですが、蜘蛛についても、改めて見ると、虫共通の形の面白さや巣というものがあるので、その装飾性や形の不思議さといったもの、そして意味についても考えさせられました。いつも、たとえば着物や洋服に蜘蛛や蜘蛛の巣柄というのがありますが、なんとなく、ああ蜘蛛だなぐらいしか思わないものです。確かにデザインだけで採用されているものもあるのですが、言われてみれば、それなりに意味はあるのでした。
虫共通の意味といえばおめでたい意味は共通にあるのですが、それ以外で蜘蛛といえば、狩りの仕方は巣をかけて待つもの(そうれないものもいますが)。そこから人と待っているという意味や、和歌の「くもの糸に荒れたる駒はつなぐともふた道かくる人は頼まじ」を馬の鞍にまかれた蒔絵の蜘蛛を見て思い出すというのは、いわれなければ思い出せませんでいた。なるほど、そういうことを思い浮かべれば、馬の鞍に蜘蛛を描くのはなかなかしゃれているなと思います。展示されている鞍には前と後ろに違う蜘蛛の姿が草の上に描き出されています。強そうな蜘蛛なので、そういった色気のある歌と関連があるのかどうかはわかりませんが、馬の鞍に描いたというところで、連想させる狙いがあれば面白いと思います。
展示は虫を画題としたもの、虫が絵の中の風景や情景に入っているもの、虫自体を描くことを目的としたもの、そして、虫を楽しむ人の姿といったものが、絵画や工芸で楽しめます。なかでも驚いたのが増山雪斎の「虫豸帖」。現代の博物がかなと思うような精緻な昆虫図でした。