私のお雛様

そろそろお雛様がお出ましになる時期となった。

お雛様が好きだ。大人になってからの方が好きだと思う。

子供の頃はどちらかというと、自然に出るものというか、お雛様も美自体もよくわからなかったと思う。どこか不思議な雰囲気とミニチュアに対する興味しかなかったと思う。

家で子供の頃出していたお雛様は姉のものだ。私は次女なので、全ての行事で私のために買われた物は一つもない。私が引き継いだものも一つもない。どちらかというと私へと買われたものも、少し年上用だったりすると姉に譲るように、あるいは姉が使うようにと取り上げられるという傾向にあったと思う。

それはそれでそういうものなのだろうと思っていたし、たとえばお雛様や晴れ着などは無くても不服に思ったことはなかった。

この時期になると雑誌に古いゆかりのある立派なお雛様の特集が組まれたり、美術館や博物館で展示があったりする。大人になってから、それらを見て見事さと、昔の(それも姫や貴族などの)暮らしを立体的に見ることができる面白さ、結構あちこちに見に行ったりしていた。

その時は全くお雛様が欲しいとは思っていなかったのだけれど。

突然、「自分のお雛様が欲しい」と中年も中年、中年を超えた頃にふと思った。

段飾りの物ではなく、なんなら親王飾りでさえなくてもいい。自分だけのいい顔のお雛様が欲しいな。と思うようになった。

お雛様の売り場も年々縮小され、以前のようにデパートに行っても面白くないし、何より顔や服装が今の売り場では「面白くない」。そんなのを見ているうちに、そう思うようになったのかも知れない。

最近の人の顔も可愛らしく綺麗になっているけれど、その時代その時代の流行りの顔や流行りの服装にお人形もなるらしく、最近のお人形はアイドル顔だ。

私の好きなお雛様の顔はどちらかといえば気品があって、大人の顔をした、どちらかといえばとっつきにくい距離感のあるような顔、どちらかといえば顔は丸顔でない方がいい。そんなお雛様は現在売られていない。

最近家の整理をしていて場所がないし、もう飾ることがないからと段飾りを処分したいと家族に相談された。それは私の物ではないのだけれど、私はお人形とお別れするのが家族の中で一番惜しいと思っている。我が家のお人形はそんなに立派な物ではないとは思うし、もう飾ることもないだろうとは思うけれど、全てにおいて、現在、当時のような品物は手に入らない。当時なんでもないもの、どこにでもあったもの、思い立てば手に入ったものが全て現在は手に入らないと食器や洋服やそのほかにの周りのもので心底思い知らされているからだと思う。

多分、私は一人で暮らすようにならなければ自分のお雛様を手に入れることはないだろう。家族に遠慮して買得たとしても買わないと思う。

一人で暮らすようになった時期にはすでにもうお人形を手に入れる力はないだろう。

だから、一生自分のお雛様を手に入れることはないだろうと思う。