以前お日記に小鼓はお相手によってすることが違ってくると書きました。
私の貧しい体験によれば。
まず演目が決まると、シテ方がいったいどの流派か、というのですることが違ってきます。流派というのはよく聞く「観世流」だとか「宝生流」だとかそういったものです。
で、それが決まればわかるかといえばそうでもなく、「下掛りなのか」「上掛なのか」といった大きな流派の中でもまた違ったものがあったりします。それでまたすることが違ってきます。
そして、それが決まればわかるかといえばそうではなく、笛は何流なのか、によってすることが違ってきてしまったりします。そしてそして。太鼓が入る物がある場合は、太鼓は何流なのか、によって、小鼓は違う手になってしまうのです。
そしてそして。一番のお相手?の大鼓が何流なのか、によってまたすることが違うのでした。
うーん。それらの全部の組み合わせで、どこで何をするかというのが決まるのですが・・・・。
こうして見てみると、小鼓は最後のパーツ、最後にはめ込むパーツなのかなあと思うこともあったりします。たとえとして適切かどうかはわかりませんが、舞の部分など、笛や太鼓が大きな骨格、道を作ってくれて、そこに飾り、例えばお花を植えたりだとか、そういったことをしていくのが小鼓なのかなあ。と思います。
ということで、上記のようなすべての組み合わせでマトリックスができあがるような気がするのですが、全部の曲で色々ちがうので、もう、なにがなんだか。
そして演奏する人によって、また違ってくるし、舞台などでその場でどうなるかわからないので、もう、私などは毎回「どーするつもりなのかなあ。この人。」とお相手の気持ちの見当が全く付かなくて、毎回、恥ずかしいことになったりしています。
こればっかりは、頭が良くないので他の楽器の手をしっかりと知らないといけないのに、だめなのでした。