中年になって山に行くようになる人が多い。

自分はそういうふうに成るとは思っていなかったけれど、周りも結構成っていく。そして、私もちょっとだけなっている。

私は海か山かといえば山が好きだけれど、山登りは嫌いだ。ずっと。

好きだったのは山でのんびりすること。

子供の頃、とにかく夏や秋になると山登りだった。全部きつくて孤独で嫌だった。

団体行動が苦痛だった。団体行動は孤独だし辛い。もしかして山登りが嫌いで辛かったのは団体行動だったからかもしれない。とにかく、小学校で山登りの印象は「辛く悲しいもの」だった。高校になって急に入学早々合宿があり、やっぱり富士へ行かなければいけなかったときも悲しかった。誰とも親しくなれなかったし、足を怪我したけれど誰にも言えなかった。とても悲しい合宿だった。団体生活や学校生活をどうやって馴染んだらいいかさっぱりわからなくて、右往左往するものだったからずっと悲しかったのが原因かもしれないけれど。とにかく、山の印象は最悪のまま。

山は登りたくない。とずっと思っていました。山方面、山の中には行くけれど、それはのんびりリラックスする旅行。自分じゃ登らない。

ところが。

最近になって、何かの機会でちょっとしたトレッキングをすると、まあ、無理をしないで嫌なら帰ってしまっていい、行きたいところしか行かない、行きたくなくなればすぐに帰れるという甘いものだからだと思うけれど、とても楽しい。

ただ歩いて、いつもと関係ないところへ行く。山は高く、木々が見えて、見下ろすと違う遠い世界が見える。その清々しさは子供の頃感じなかったものだ。ゴールとされている頂上に登っても子供の頃は「なにか感じなきゃいけないんだろうけれど、何も感じないのはまずいな。」と思っていた。大人になった今は自然に「おー」と思う。

景色が珍しいなんていう感覚を持ったのが最近になってからなのかもしれない。

とにかく、自然は見ると面白く美しく感じ、そしてもしかしたら、いつもと関係なーいという感じが清々しいのだろうと思っている。

それに加えて「意外とできた」という感じが嬉しいのかもしれない。とにかく苦手だと思っていたものが「まあまあできた」というだけで嬉しいものだ。大人になると自由時間は、いつのまにかなんだか共通のルールなのか、申し合わせがあるようになっているわからない人たち(今もそうだけれど、いつの間にかグループがすでにできていて、毎回「前日にみんな集まったのかなあ」と思う・・・)と一緒に居なくてすむ。というのが関係あるのかもしれない。

未だにどうしたらそういうグループになれるかわからないので、グループになれない人でグループでなく行動して良いから、余計なことがなくて、その分できたことや見えるものに幸せを感じるのかもしれない。

とにかく、まあいつもできないことが多いので、「できた!」みたいな感じが味わえるのが嬉しいのだろう。なんとなく「できた」感がありますよね。山登り。出来上がり感がある。手芸でもなんでも「できた」って感じを味わいたくてしているところがあるきがします。

今も「登山」は無理だろうなーと思うからしていないけれど、ちょっとした所を歩くのはいいなと思っています。そして高いところからの景色はいいな。人工物がほとんど見えないような、そんな木々で覆われているところをずっと見るのは最高と思っています。