昼間すこし天気の良い時間があったので、植木鉢の整理。
2つ植木鉢をやめ、1つプランターをやめる。
土を始末するのが大変。土って買うとその後が大変。再生させて使うのがいいのだろうけれど、あまりしていなかった。以前たくさん業者にひきとってもらって大変だった。もう土は買わない。
植木鉢も水やりが大変なのでぱっとできる範囲にする。
残す植木鉢のほうも、のびのびになっていた草を短く刈り込む。
いつもほったらかしで、こういうときも適当にちょっと手を入れるだけ。
趣味の雑草も今年はあまりしないつもり。
植物でも生き物なので、毎日世話しないといけない。旅行の時など気になるので、あまり増えすぎないようにしなくてはと思う。この二年ぐらい旅行に行く機会もないので気にしていなかったけれど。
コロナ騒ぎがあってからまだ二年ぐらいしかたってないのかあと思う。2019年の末ぐらいからでしたっけ。今年で三年目かあ。なんだかずっと前からあるみたいな気分。マスク騒ぎやいろいろあったなと思う。ずっと前からあるみたいでもあるし、去年もおととしも、特におととしなんか、1年がすっぽり抜け落ちていたような感じもある。1年がすっぽり無くなったようなそんな不思議な感じ。人に会わないように会わないようにして暮したり、食事の時マスクをどこではずすか、どのマスクをするかなど気を使ったりして暮している。そうしていても、これだけ感染者がいればどこでかかっても不思議ではないような状況だと思う。それなのに、かかると各方面に謝ったり責められたりするような感じもある。病気になるのはその人のせいではないと思うのだけれど。人それぞれ、同じことをしていてもかかるひともいるし、かからないひともいる。毎年インフルエンザでそれは思う。予防接種をうけていてもかかってしまうことはある。
最近はちょっと調子が悪いというのも言いにくく、かえってよくないのではないかと思うる。調子が悪いといいにくい雰囲気はコロナだけでなく良くないと思う+。
少し前の報道で東京では14人に1人は感染したことになるとか。本当かどうかはわからないけれど(どんな計算かわからないけれど)、毎日1万人(ひところは2万人)という数の感染者が出れば、どこでかかってもわからないな、なんて思っていた。隣に座っている人がかかっていないかどうかなんてわからない。
そんなことを思いながら、もともと人がたくさんいるのは苦手だったけれど、一人でいることがさらに多くなった。
植木鉢をベランダから降ろす。
雑草は引っこ抜いて、土の中が根っこだらけになっているので、根っこをなるべく捨てる。始末するために水をやらずに乾かしていたので、思ったより簡単にさらさらと土を捨てることができた。さらさらとお米や土の空き袋へ土を入れる。
石鎚竜胆の芽が根元からぎっしり出てきていた。楽しみ。杜鵑草もまだ生きていたみたい。横から芽が出てきた。あとは毎年ピンクのかわいい花が咲く大島野牡丹が生きているかどうか。毎年育てている桔梗は出てくれば育てるし、出てこなければ今年は育てないかもしれないなと思う。雑草はぴこぴこ出てきている。それを適度に摘む。
去年まで楽しく参加していたネットの会が解散したからかなあと植物にあまり熱心になれない気持ちになっている。なんだか悲しかったな。
お休みの日が続いたので、信貴山縁起絵巻を読む。明るくて面白いスペクタクルで元気を出す。