テレビ

ゴールデンウィークの谷間の次の日。憲法記念日

テレビで録画しておいたドキュメンタリーを見る。プーチンの道。原題はプーチンズウェイ。プーチンのやり方、プーチンの生き方、プーチン流という意味も含めてるのかな。2016年のドキュメンタリー。暗い気持ちになる。番組最後に研究者のプーチンを追い詰めてはいけない。「話し合おう」とは絶対ならない。とびかかってくる。という予言のような言葉が暗く響いて終わる。追い詰めなくても追い詰まってしまうのが独裁者の最後なのではないかとは思う。怖くて降りられない虎の背中だ。降りたらなにがあるかは自分がやってきただけによくわかっている。のが独裁者。自分が破滅、負けるなら世界など無くなれ。と思うかもしれないよと思う。非常にやっかい。

ほかに録画していた「見えた、何が、永遠が」という立花隆のドキュメンタリーを面白く見る。それとは別に、永遠が見えるなんて人間には耐えられるのかね、など思う。詩人の詩なら、ありなんだろうな。詩のほうを読むと納得する言葉。でも番組内ではまた別の意味で使われていた。地球や宇宙の時間は人を超えていすぎる。全人類が一人の人のように、一人の細胞の一つ一つが人であるといった全人類ができあがったら・・・いや、知だけじゃないと思うけどなあ。Twitterなんかを見ていると。人間の体と同じようにやっぱり外からのウィルスや菌だけでなく、自分自身を害するものができたりして、それは全体なんかどうでもいい、自分だけ増えたーい!とがん細胞みたいになる可能性もあるんでは?など思う。全体が滅んでしまってもいいよーん。と。インターネット等のネットワークでみんなの考えは距離を超えて結びつきはじめている。けれど、ひとしく結びついているわけでもなく、声の大きい人がたくさんいるように見えたり、発されていない声もあるのだろうと思う。そういうのをすべてむずびつけると地球全体の人が出来上がるのかなあ。あまり明るい気分にはならない話だけれど。知識、知性を大きく信じている・・・わけではないからかな。人はそんなに出来が良くない気がする。