意味

まあ、年末に掃除する意味がわからないと言われれば、わからない場合はわからないのであろう。と思う。

わからない場合はしなくてもいいのではないかとも思う。

こういうのは心の話なのであろうと思う。というのは数年前のテレビ番組を見ていて思ったことだ。それは寒くなる前に掃除をしておけという特集で、掃除に関してはもう寒くなる前にしておいたほうがよっぽどいいのだろうと私も思う。普段しないところも、まあ分けて折々でやっておくのがいいのだろうと思う。別に大晦日の大掃除はそれまで掃除をためておくという話でもないと思う。

では新年前になにか特別な掃除はしないか・・・といえばするだろうなと思う。

キリスト教徒は教会へ行くのにいい服をそれぞれその人に合わせて着るという話を聞いたことが在る。最近はそうでもないのかもしれないが礼拝の時にいい靴を履くだとかそういうことがあるのだと。そういう人類共通でなにか「かしこまった」場面というのはあるのではないかと思う。そういうかしこまるものがやってくるのが元日なので、もうこれはしょうがないのではないか、と気分的に思う。

が、そういう気分を失った人は、それはそれで仕方がないのであろうとも思う。

そういうものは内側から出てくるもので外からはくっつけられないであろうから。

とにかくあらたまった日のまえに清めなくてはの感覚が残っている限りは何かしらするのであろう。