このよかな。
NHkの新日本風土記で「天神様」を見ました。天神様をお祀りしてという天神講やしまい天神、初天神など身近にはない風習なので、興味を持ってみました。天神様の飾りもいろいろ。地域によって、社をかたどるお雛様の御殿みたいに、お社とちょっとそのまわりといったものを宮大工に作ってもらったりして、それを飾っているところも。(絹織物を扱う家や旦那衆の家によくあったとのことで一般的ではないのでしょうけれど)
道真公の絵を飾ってという地域もあって、そこでは長男が生まれてその子供のための掛け軸を買う夫婦、そして、家にある道真公の掛け軸を引き取ってくれる神社、つまり、「しまつ」するまでの様子が紹介されていました。なんというか、皆の天神様・・・という気持ちと、願いを込めたものだから大事に守りつつも、もう手放すと決心する人たちの様子が見ていて切ない。切ないのは道真公の絵を飾ることや祈ることではなく、人の暮らしだな。と見ていて思いました。お焚き上げで燃えていく、かつては大切にされていたであろう、その家の長男のための道真絵の掛け軸。インタビューに答えていた人は亡くなったその家の長男の絵を守っていた弟や妹という人や、自分の物だけれど、もう飾れないからと持ってくる人も。比較的若い人はあっさりしているのかなあ。親は願いを込めて買ったんだろうなあ。二十代でなくなった長男である兄の掛け軸を持ってきた弟という人は「もう(年だから)やめさせてもらっても」といったようなことを言っていた。長男用なんですよねえ。なんだか切ない。
100分de名著、今回は新約聖書。新約聖書は子供のころ何度も読んだのだけれど、かなり昔の事なので、なんとなくは覚えていて、紹介されるエピソードは、まあ有名どころだというところもあってちゃんと覚えてはいるものの、改めて説明されたり、聞いてみると、子供のころとはまったく違うイメージを抱く。何度も読んだり、時間を経て読むと違うイメージを抱くというところはさすがベストセラーという感じ。
改めて今回の100分de名著を聴いていると、新約聖書に書かれているのは「自分でがんばれ」ということかなあ。「自分で頑張れ」と「あきらめるな」。だけれど、「応援しているよ。」ということかな。
一日中冷たい雨が降っていて、寒い。さっき鳩が一羽やってきて、いつもナッツを置いていたあたりをじーっと見てがっかりして帰っていった。ごめんよ。
この雨が黄砂や花粉を洗い流してくれるといいのだけれど。