寒い

日曜日は雨。天気予報が変わったのかもと確認。というのも東京は月曜日午後から雨か雪の予報が出ていたから。それが気温がどこまで下がるか、いつ雨が降るかによって、平野部でも積雪となるかもしれない、都内23区でも積雪か、微妙な予報だったから。

早めに仕事が上がるように予定をしているけれど、どうなるかなあ。火曜日にずれ込むかもとも色々と微妙な予報だったけれど、日曜日から雨が降り始めているので、これからいつまで曇があるか、気温が2度3度ぐらいまででなんとかなるか、によるかなあ。

とにかく日曜日から寒くて、小鼓の皮もカチカチに。冬の鼓はカチカチになりがち(気温も低く、湿度も低いから)ではあるのですが、でも、夏のボヨボヨよりは(湿度がありすぎ)調整のしようがあるので、まだ好きな方。とはいえうちはじめ、冷たくなった皮はどうしようもない。ちょうど良いようにある程度温めというか緩めたいが、その室内だとか外だとか、打っている環境によってどんどん変わっていくので、なかなか難しい。うちはじめどの程度にしておくのか。暖房が入った室内で一定の気温だとと思うけれど、たとえば舞台などはライトが当たっていたししてあっという間にひあがってしまうこともある。

とにかく寒いなと思っていると、ベランダに次々と入れ替わり立ち替わり鳥が雨宿りにやてくる。ヒヨドリメジロ四十雀。だいたいいつものレギュラー。鳥も雨は困るんだなあ。まあもしかしたら昨夜の豆まきの豆が目当てという鳩だとか、そういうのも混じっているとは思うけれど。

考えてみると、一年で何度も穢れを払って生活しているのだなあと思う。

鬼は外の節分も、疫病だとか目に見えない穢れのようなものを払っているのだと思う。新年も、清らかなものを迎え一月は祈祷をしてもらったり。新年に神社に行くと会社でお祓いを受けているという団体を結構見かける。子供のお宮参り以外にも新年だからと祈祷をしてもらう、厄払いをしてもらう人は多い。新年に新しい着物や履物、そういった新しいものをおろすのも、どこか穢れを払ってまっさら新しいものにという気持ちがあるような気がする。清らかなもので辺りを払うのが新年の気分。

二月には節分。三月には人形を流す雛祭りの原型があることだし、五月には菖蒲湯で穢れを払う。六月には茅の輪潜り、薬玉。七月八月にあるお祭りもそういう雰囲気があるかもしれない。京都の祇園祭なんかはそういう疫病退散の意味があるのだし、そういう一面もあるのだろうと思う。秋からはどうだろう。冬の冬至なんかは柚子湯でだとか、重陽なんかも長寿や健康を願うものでちょっと払う系とは違うような気がする。大晦でこの辺りになると払う気分が盛り上がってくる。ということは払う気分は夏までで秋にちょっと実りや何か入ってくるものに集中するような気分があり、年末にまた払う気分が盛り上がるということだろうか。こうやって考えてみると四月とか七月とか何かあったかなあと思う。七月の七夕はそういう感じがちょっと違うかなあ。四月は仏教では灌仏会とかあるけれど、それはちょっと違うしなあ。