清朝の煎茶茶碗

清朝の煎茶茶碗。と書いてあったけれど、清朝って長いからなあ。

とにかく中国の器なのだな、と思う器がやってきた。

雑器、普通の家の普段の器。小ぶりで「酒器にも」と書いてあった。確かにちょっと

大きめのおちょこ、とも見えなくもない。

あっさりした青がふちの近くをぐるっと巻いているだけの模様。本当に普段着の器だけれども、あっさり加減が寂しくない手軽だけれども粗末すぎない丁度いい器。

新しい器はなんだかピカピカしていて好きになれないので、いつもちょっと古いものを使っている。工場で作ったものでも、昔の洋食器などはどこか人の手を感じさせるものが多い。人の手で絵付けしていると思われるこういった器はさらに手を感じる。

数をこなすために、さっとスピードを持ってつけていったと思われる色付。そういうところに普段ぽさを感じる。きっとたくさん作ったのだろうなと思う。

コロナ騒ぎで在宅となって、今年の四月に仕事場に置いてあったものを一旦ほとんど引き上げた。

その後、基本仕事場にすべての日程居るようにとの指示が出て、留守番のように居ることになった。

それで、またお茶を飲む器が必要になったのだけれど、元のものを戻す気にならず、いつでも撤退できるように、としばらく器なしで過ごしたけれど、やはり不便で。

新しく小ぶりで気兼ねがないけれど、ちょっとうれしくなるような器を持っていこうと思って探して買ったもの。

疲れると、手の中でくるくると回して、遠くから来たんだなあと思う。

この遠くから、というのは土地もあるけれど、時代も加わって感じるものかもしれない。遠くからやってきた普段顔の静かな小さな器。人気のない仕事場で、緊張感のある外出の中、疲れてしまう気持ちを、この小さな器で慰めている。