やっと本題

二日目の午後。

春日大社を目指す。

参道を歩いて目指すのはもしかしたら初めてかもしれない。猿沢池脇からずーっとまっすぐ歩ていく。登坂だし、距離があるので、途中二回ほど、休む。

超高齢の母と割合年よりの私。特に高齢の母は自分の足で歩いているのはすごいなと思いつつ、ゆっくり歩いていく。

大きな鳥居をくぐりお休み、次の鳥居をくぐってお休み。という感じ。

なだらかだけれど、登坂が続く。春日の森の手間から若草山御蓋山がもう始まっていて、ここは麓なのだなと感じる。

ずっと緩やかな坂を歩き、南門到着。入って拝所のその脇にある特別拝観の入り口にチケットを出す。チケットと一緒に記念品をもらえるチケットもついていた。「それも一緒にここでもらいます」と声をかけられたので二つとも出す。何がもらえるのかなあと思っていたら、透明の四角い何かがついている根付(ストラップみたいなもの)でした。

何かなあ。と思ってよく見ると、今回再作成された宝物、金鶴及銀樹が描かれたものでした。なるほど。復元したとニュースになっていたから、その記念かなあ。旅の守りとして鞄につける。今回若宮造替だったので、若宮様に収められた宝物ということで、この柄なのかなあ。若宮様に収められた宝物は小さくてかわいい。

一番楽しみにしていた遥拝所からお山へご挨拶。ここにこられてうれしいです。ありがとう!!と思う。

そして、昔の人がもっていた感覚について思いをはせた。私にはわからないけれど、昔の人の感覚で「ここだ!」というポイントがきっとあったのだろう。

そういえば。山への崇拝というと山岳信仰があるけれど、違う。気がする。春日山あたりはそびえたつような山ではなく、なだらかなので、そういものとはまたもう少し違うニュアンスを感じる。こういう神社が実は山を拝しているというのを見るに、なんとなく山への崇拝は水源への崇拝みたいなものがあるのではないかなあと感じる。考えてみれば、水が山からやってくるというのは不思議な感じがしないでもない。水が生まれる場所ならば、聖なる場所、大切な、神様がいる場所だと思うのは当然なのではないか。と思う。どうかなあ。昔の人ではないから感覚というのはわからない。でも、私はそう思う。

そんなことを思いつつ、お廊の手前側をとおり、外に出る。

以前来たときは、このお廊の向こう側をまわったと事がある。石をみせてもらったり、社の壁(後ろ)に描かれている絵を見た。

さて。記念におみくじでもひく?と母を誘う。

鹿みくじ、茶色い鹿と白い鹿があるので、白い鹿をはりきってひく。

このおみくじは鹿のお人形がおみくじをくわえているもの。かわいいし、お人形がお土産になるので、父の分の鹿も購入。おみくじが何かは帰宅するまでわからない。

母も白い鹿おみくじをひいた。

もうこの日は大活躍(だいぶ歩いたので)なので、宿に戻らないと体調が心配である。なので、まっすぐ宿に帰ることにする。神鹿たちがあっちこっちに座ったり、観光客にかまわれたりして過ごしているのを見ながら宿まで歩いて帰る。(バスもあるので途中のバス停から乗ってもいいと思う。時間が合わなかったので乗らなかったけれど)

宿に帰り母はそのままお昼寝タイム。

私はもってきた便箋で手紙を書く。実は京都国立博物館でハガキを買いたかったのだけれど、ちょうどいいようなハガキがなかった(年賀状を売っていたのでそれは買った)。素敵なハガキがあったら買って、奈良から出そうと持っていた。残念ながら、ハガキ計画は中止。持ってきた便箋で手紙を書き終える。明日最終日に奈良から出す予定。この日歩き回っていて何度か郵便ポストを見かけた。だから、なんとなく出せるような気がしていたけれど、はたして、次の日、ちょうどよくポストのある所を歩くかどうか・・・。

翌日は帰る日で新幹線の時間があるので、あまりゆっくりはしていられない。

午前中は正倉院展を見る予定なのだ。正倉院展は時間指定の前売りチケットを購入しなければならなかったのだ。つまり時間指定があるということ。次の日の九時からの十時入館のチケットを買ってあった。入館に並ぶだろうから、どのぐらい見られるかはわからない。帰宅の新幹線は早い時間にしてある。東京に帰ってからラッシュに巻き込まれないように(平日なのだ)というのと、疲れないようにということもあってそういうスケジュールにした。

さて、どのぐらい見られるかなあ。