クリスマス回

「きのう何食べた」のシーズン2クリスマス回。

今回もじんわりくる話でした。同性同士だからよりわかりやすくなっている部分があるのかなあ。見る人によってはそうなのかな。と思う。

仲間であろうと家族であろうと、夫婦であろうと、思いやってもらえない、そして最後の最後に「お金払っているからいいだろう(思いやらなくてもいい)」はどんなにか冷たいことか。これは仕事でもそう。「それはひどい」に対して「お金払っている」はひどい。そんなことも考えさせられるお話でした。そして、現在の思いやりのある生活が家族とできていることで幸せを感じつつ、かつての自分の気持ちが、好きな家族から思いやられていない悲しさだったのだと思い至る回でした。ケンジ、本当に偉いな。

再三、シロさんはケンジを「好みじゃないんだけれど」と言っているけれど、それは、まあ、見た目とかタイプとかそういう恋愛センサーというか、そっち方面のセンサーはピクリともし タイプだけれど、ということなのだろう。そっちのセンサーに従って、タイプど真ん中だからなんでも許すでやっていけるカップルもいるけれど。でも、恋愛センサーじゃなくて友達から恋愛込み家族っていうのもあるんだと思うな。

とにかく、相手が困ったときは助けたい、困らないようにしたいという気持ちがあるケンジとは末長くやってけそう(年齢的にももう他に行くのも面倒というのもあるので安定している)なシロさんだ。そんな自分を気遣ってくれるケンジに過去に気遣ってもらえなかった時に、気遣ってもらえなかった事に傷ついていたんだ、とやっと自覚しつつ、「今幸せなんだ」と発見したシロさんは感動的だ。

ケンジはいつもシロさんを思い遣っている。困っていたりすると、それを見ていて、困らないといいなと思い、行動する。すぐ謝るのを咎められていたこともあるけれど、ちゃんと悪いな、と思ったら謝ってリカバリーしようとする。そうやって、関係を保とうとする努力をする人だなと思う。

シロさんもそれに対して「(鶏肉を一枚余分に)2枚使ってやるか」と心の中で答えている。そんな鶏肉一枚分の優しさを毎日の生活で相手に送るのが身近な人との幸せの秘訣かもしれません。

いつだったか、友情はお花を育てるようなもので常に水をやって世話をしてあげなければと書いている人がいたけれど、友情だけでなく、人の関係はそういうことなんだろうなあ。