大画面の幸せ

どうにも我慢できなくて、初日にはせ参じてしまった。「京都・智積院の名宝」展。

なんて幸せ。智積院の障壁画をこんないい環境で見られるなんて。

それにしても「巨大」だなと思う。これでも元の大きさではないものがあるそうだけれど、一番背の高いものではケースの中一杯で近づかないとケースの前の縁で隠れてしまうほど。

それにしても素晴らしい。これだけ巨大な画面、花なども大きく描かれているのにまったく破綻なく、そして、省略するところは省略しているのに、自然に、目の前に木々や花をみているような気分になれる画面。絵の前にいるとすっと絵の中に入っていける。そして遠くから見ると、あ、あそこにきれいな景色があると思う。

私はもともと花鳥画が好きなのだけれど、こういう大画面で木々や花、鳥などが描かれているものがとても好きだ。ひたすら善きものだけをたっぷりと大きく目の前に展開するこういった絵を見ているのが好きなのだ。

一つ一つの絵の前から去りがたい。ただ、ずーっとぼんやりと眺めていたい気分になる。それは見に来た人、皆そうらしく、みんな絵の前にたたずんだり、少し離れた椅子に座っている。

それには大きさも関係しているのだと思う。屏風や障壁画はいろいろあるけれど、なかでも大きなものなのではないかと思う。その大きな画面いっぱいに松の木、草花、雪、楓、桜などがたっぷりと豪華に展開していく。その量が本当にふっくらたっぷりしているので、目の前に抱えきれないほどのものがわーっと差し出されたような気分になるのだ。

どうしよう、通り過ぎたら見られないと何度も戻ってみてしまった。帰ったらもう見られないと思うとなかなか帰れない困った展覧会である。

美とは不思議なものだ。私はどこを見て美だと思っているのだろう。ああ美しいと思っているけれど、美とはどこにあるのだろう。

1500年後半ごろ生まれた人の絵が、描かれた当時とは違う色も少し褪せて、剥落したところもあり、くすんだところもあるのに、圧倒的に美しい。いったい何に感動しているのだろうと思う。