だいたいあの頃の

今日は六月二十四日。出かけなければいけない用事がお昼からある。七時ごろから日差しは夏のでかーっと鋭い。昨日の曇りとはうって変わって今日は暑くなりそうだ。夏至を超えた、とこのころ聞いて、毎年驚く。昼間はもうこれ以上長くならないのだ。そんなイメージはないなあと思う。

「祖母姫ロンドンに行く」を読む。いやあ、立派なおばあ様だなあ。

そして、著者のお年は知らないけれど、ここで書かれている、おそらく著者が20代前半から半ばごろに行ったロンドン、私も行ったことがあると思う。

読んでいて「あーそうだ、ロンドン三越あったねえ。」だとか、薄ーい記憶を掘り起こして楽しく読みました。それにしても立派な人だな。おばあ様。そして、著者はおばあ様曰く「自分を低く見積もっている」だが、確かにそうだ。読んでいて、この著者の魅力は十分伝わってくるし、二人の滞在した一流ホテルの従業員たちの彼女に対する協力ぶり、心の寄せ方を見るに、個人の魅力が皆を魅了しているとしか思えない。若い人のひたむきで一生懸命、真面目な姿が好感を呼んだというのもあろうけれど、この人のチャーミングさ、滲み出す育ちの良さのようなものが、人を魅了しているのではないか、と思う。その証拠にこの著者はこの旅の前の英国留学でのホスト先、そして第二の祖父母といえる人たちを本人の魅力で勝ち得ている。

おばあ様はおそらく、裕福な人なのだろうと思う。おそらくなくなった伴侶は社会的に地位のある人なのだろう。そして子供たちである息子も成功しており、娘もいわゆる「いいところ」に行っている、と推測される。著者は医師免許を持つ医学部を卒業し、大学院へ進んでいて、どうも家のプレッシャーで進路を決めたようなことを言っている。つまりそういう家なのかなと推測している。(のちに監察医になり、小説家にもなっている)

とにかく、息子たちの財力も相当だなと、なんとなく、この80歳オーバー最後の姫旅行が特大のサービスだったとしても思う。とにかく、泊まっているところ、うーんあそこかなあ・・・バトラー制度があって・・と思ったりして、まあ、私はぜーったいに生まれ変わっても泊まれそうにないところの様子がわかってものすごく楽しい。そして、それを使いこなせるのはやっぱり人を使える、人を教える立場に自然になれる人じゃないと無理だなと思う。おばあ様はもともとの性格もあるのだろうけれど、堂々たるもので、なかなかなのだ。人を見るプロたちが自然に仕えるようなところがある。そして、おそらく、とても魅力がある。

おばあ様はお茶やお花だけでなく雅な趣味を多数お持ちだが、すべて一流の人に習っているということは、そいういチャンネルがあるということだ。著者も渡英前にお花など超特急で習っているようだが、ちゃんとした人をご紹介で、マンツーマンで速習している。うーんいいとこ臭しかしない。

とちらっと思いつつも、著者の若き日の爽やかな冒険と、おばあ様の教えはなかなかのものなので、全体にとっても面白く、またいい話である。著者は若いので、おばあ様が夜眠ってしまった後、夜遊びに飛び出して、ホテルの人を心配させているが、これ、ご本人に対する心配ももちろんあるのだろうけれど、主人たる「おばあ様」に何かあった時、連絡が取れないと非常に困る、ということも多分にあったのだろうなと思う。だから、どこに行くのかとタクシーでの行きかえりだけは最低限約束させていたのだろう。当時はスマホありませんからね。そして、当時二十代の若者には八十代の「明日をも知れぬ身」というのは、まったく想像上の物で実感はないだろうな、と思う。大切な主人を「危険な」夜において飛び出して行っちゃうなんて、という意味で「バッドガール」なんだと思うなあ。でも、みんな「しょうがないなあ。でも若いからなあ。」っていう苦笑気味の「しょうがないな。協力してやるか。」っていう気持ちも多分に含まれていると思う。

とにかく絶妙のコンビでの旅と、ずいぶん経ってからの思い出としての、著者の後悔と、「バッドガール」編の、ほのかな、何かしらが「ある」ような、そんな交流とがつまった、面白い本でした。

ロンドン三越、入ったことはあるけれど、買い物したことはあったかなあ。免税とか関係ないし、買い物の場所としてあまり認識していなかったような・・・。本当に遠い遠い記憶であまり思い出せない。ハロッズの巨大アイスとかしか・・・。

家元に習う!と習う人々を身近にたくさん見ているので、ああ、ああいう人たちねえ。と思いながら読みましたよ。ほんと私にはあのするっと自分の要求を通す、あの層・・・というか種類というかそういう人たち、遠い存在ながらも身近にいーっぱい見てます。うう。